160525ウィンリィ

ウィンリィちゃんは健気。

ネットで知った情報によると、『ハガレン』が実写化されるそうです。

されても観ないと思いますけどね。
よほど評判がよければ観るかもしれませんが...

観ないかもしれないといいつつ、気になるのは誰がウィンリィちゃんを演じるか。観ないであろうにも関わらず、重要なポイントです。

好きなんです、ウィンリィちゃん。
とっても健気だから (^o^)


冒頭のシーン、『ハガレン』をご存知の方なら説明する必要はありませんね。名シーンです。
知らない人は『ハガレン』読め!
――で済ましたいところですが、そうもいかないでしょうから、
面倒臭いから、適当に説明します。

ウィンリィの両親は医師でしたが、戦場で殺害されています。
その戦いは内乱でした。強き者が弱き者を抑圧する戦争。
ウィンリィの両親は強い者の陣営でしたが、医者としての使命感から弱き者を救うために戦場へ自らの意志で赴いていた。
にも関わらず、彼らは自分たちが救った者に殺されてしまった。

ウィンリィの両親を殺害した者は、テロリストになりっています。
冒頭はそのテロリストと邂逅するシーン。
ウィンリィはテロリストが両親殺害犯だということを知っています。
テロリストは制圧され、ウィンリィはピストルをその手に持っている。強い衝動に駆られますが、辛うじて抑え、ケガを負っているテロリストに治療を施す。そこで出てくるのが、この健気な台詞。


テロリストは親兄弟を殺されてしまいました。だから復讐をします。
復讐は犯罪ではありますが、その心情は人間としてよく理解できます。

ウィンリィも両親を殺害されています。だから復讐の権利がある。
相手は復讐の権利を行使しているテロリストなんですから。
しかし、その権利を行使しない。
犯罪だから、ではありません、

理不尽をわが身に引き受けたからです。
理不尽を引き受けるから「許さない」と言える。
理不尽を引き受けつつ「許さない」と言明する態度が強いメッセージを発します。
そして、そのメッセージを受ける者は、心を揺さぶられる。


もちろん、これはフィクションです。現実ではない。
だけど、心を揺さぶられるのは本当です。
フィクションであるけれども、困難なことだとわかるから心を揺さぶられる。

それだけではありません。
このようなことはフィクションであって、現実にはまず起こりえない、自分の身に降りかかることはないと思い込んでいるから、
安心して自身の心を揺さぶりに委ねられるんです。
つまり、当事者ではないから。無責任だから。

ところが、どっこい。
確かにこんなに大袈裟なことに遭遇することはそうそうないでしょう。ですけど、小なりとはいえ、同じ構図には日常茶飯事に出くわしています。気がつこうとしていないだけです。

誰もが【毒】に塗れているなかで、ちょっとしたきっかけで「トリガー」を引いてしまう。
それはオレの所為ではない。
トリガーを引いたのはオレではない。
もともとからトリガーは引かれていたのだ。
社会の【毒】によって。

立川談志は言ったそうです。

「現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない」

ウィンリィちゃんなら、この言葉をどのように理解するでしょうか。

両親が殺害されたことは、動かしようがない事実です。「正解」です。でも、時代が悪いの、世の中がおかしいの、とは言いませんでした。「許さない」とは言いましたけど。

言葉をどう解釈するかもまた、解釈する者の責任です。



「等価交換」を言い訳に、人生の約束を申し込んだ男にウィンリィちゃんは答えます。

自身で引き受けて、自身で責任を全うしようとするからこそ、
出てくる台詞ですね。

『鋼の錬金術師』、オススメです。(^o^)


感じるままに。