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明達寺(白山市松任)

行きやすさ  ★★★
マニアック度 ★★★★
営業時間   催事により異なる(催事期間以外の見学は要予約)
定休日    なし

明達寺は宗教家暁烏敏の生家でもある真宗のお寺で、島田清次郎は学生時代ここにある大量の書物目当てに頻繁に明達寺を訪れていました。
島清が通い始めた時期の明確な記録はありませんがおおよそ1915年頃からと言われており、そのきっかけとなったのは暁烏を崇敬していた叔父に連れられたからとも、親友だった橋場忠三郎の誘いがきっかけともいわれています。

最寄り駅はJR松任駅。車社会の土地にしては珍しく駅周りが栄えていて観光施設もあります。

駅の目の前にある千代女俳句館。過去に子規や虚子の企画展示もしているみたいです。すぐ近くには松任ふるさと館や松任中川一政記念美術館もあります。

駅からのルートは以下リンクになります。
学生だった島清もおそらく金沢から鉄道で松任まで来て、お寺までは歩いて通っていただろうから私も歩くぞ!ということで出発。
徒歩20分程度ということもあり、あまり深く考えず出発したのですが後に後悔することに…

というのも、訪問した2022年の東京は6月末から最高気温が連日35℃の猛暑日記録を更新しているなか、当日(7/4)の金沢は予想最高気温32℃前後だったため都内の暑さで壊れた私の頭が「涼しい!!」と判断してペットボトル1本と日傘だけの軽装備で挑んでしまったんですね。
しかも前の晩はすごい大雨と雷で朝は雲も多くそこそこ涼しかったし午前中に全て終える行程だったし…
しかし蓋を開けてみたらグーグルマップの示したルートは車が多い県道沿いを通るので排気熱やら照り返しやらで絶対32℃より高いだろ…という道をひたすら歩くことに…
行きはなんとかなったものの、帰る頃には日射しも照りつけてきて軽い熱中症になりかけてしまい、途中のスーパーの青果コーナーでぼんやり佇み身体を冷やし、買った飲み物2本をその場で飲み干して難を逃れました…
夏の外出はしっかり準備と体調を整えて…油断はダメ絶対…
本当は秋聲の「屋上の怪音」にも出て来たあんころ餅で有名な圓八さんに寄って店舗限定のあんころソフトとかアイスを食べたかった…

そんな失敗談はさておき…
県道を進んで新幹線の高架下をくぐり抜けた住宅街のなかに明達寺はあります。

門前(2023年10月再訪時撮影)
門から入った左側には手水があり、通路を挟んで社務所があります
前夜の大雨で苔はウルウル木々も元気でお堀も水がたぷたぷ
本堂
屋根は平成になって改修したそうですが佇まいは島清が通っていた当時とほぼ変わりない姿

公式サイトを見ると堂内には暁烏敏にまつわる展示室や書斎があり、事前に連絡をすれば見せていただけるようです。
暁烏敏が創刊し『或る日』、『野の出来事』などの島清の作品が掲載されたこともある雑誌『精神界』の創刊号なども展示されているようです。

ある時、寺の講習会に来て話し始めた島田が、「今夜誰の話をきかなくても私の話さへきいたらよいのです」「私は話せと言はれてもめつたに話したことはありませんが、今夜は話したくなつて話します。諸君は今夜私の話を聞くのは幸福です」と述べた。

「北安田たより」『汎濫』九月号、大8

突然やって来ては何日も泊まりこんで勝手に本を読みあまつさえそれに線を引いたり、ふるまい粥では満足できずに台所へ行って御馳走をせがんだり、暁烏不在の時に彼が座っている位置に自分が座って瞑想したりしていたなど真偽は不明ですが『天才と狂人の間』でも逸話が語られています。
うーん生まれ持ってのシマセイズム…その態度に信者の方から不評を買ったり嘲笑の的だったりもしたそうですが暁烏本人には島清の才能も込みで気に入られていたようで、後に『死を超ゆる』を連載することになる京都の新聞社「中外日報」に島清を紹介しています。

『精神界』自体は復刻版の書籍やネットで作品が読めるのでこの時は見学予約しなかったんですがこれらの逸話の舞台であっただろう本堂を覗くことはおろか完全に閉ざされてるとは思っていなかったので少し後悔。

本堂と手水の間の小道に入ると鬱蒼とした林の中から鐘楼やお堂が現れます。
蚊がとにかく多かった…服の上からも刺してくるしあまりにも多くまとわりつかれて「アッ、私はこの大自然の中でただの食糧としての存在…ッ!」と悟りを開きかけました(お寺だけに)

苔むしているけど立派な鐘楼
臘扇堂。こちらは昭和27年建設なので島清が通っていた頃にはなかった建物

暁烏は和歌や俳句も嗜んでいたため、本人の作品の歌碑や、彼と懇意にしており明達寺を訪れたこともある高浜虚子の歌碑が裏庭に設置されています。
庭も広く他の人の碑もあり、最初に訪問した時はよりにもよって唯一知っている虚子の碑だけ撮り逃し物凄く凹んだので2023年の10月に地元の島清研究者の方に車で連れて行っていただき撮影リベンジする事ができて本当によかった…

『秋晴や盲ひたれども明らかに』虚子
虚子が初めて明達寺を訪れたのは島清が通い始める前の大正2年。その後も親子で数回訪問しているようです。

見学後ふらふらになりながら松任駅まで戻り小休止してから行ったのは明治38年創業の和菓子屋田中屋さん。HPに当時のお店の写真があるんですがなんともモダンで素敵な店構えです。
圓八さんもですがどちらも島清が暮らしていた頃からあるお店なので明達寺にもお茶菓子として出されていたりしたのではなかろうか?そして逸話が本当なら島清ならお茶にお呼ばれせずとも勝手に供え物から取って食べる位していたんじゃなかろうか?
と思って当時から作り続けている品はないかなと期待して訪問しました。
お店で一番歴史があると謳っている千代最中と美味しそうだったのでまねき餅、その他お土産と名物のアイスキャンデーを購入。HP掲載商品以外にもソフトクリームや生菓子もあってかなり目移りした記憶。
味もどれも美味しかった~!!パッケージもかわいいし金沢にも店舗あったら毎回なにかしら買って帰るんだけどな…
松任にお越しになる時はぜひ寄ってみてください。

金時、抹茶、マンゴー、キウィ味もあります。レトロデザインがすごくかわいい!このデザインのTシャツも売ってました。金沢四高に新しく出来たショップ『GATE4』でも販売していいます。
松任駅前の広場にあったSL。運転席にも入れます。
松任たのしい。

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