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バツをつける

大変示唆に富んでいると感じた。

「自分でバツをつけることができない」という状態を明確に問題だと認識したことがなかった。確かに、間違いを認めなければ間違いを訂正できない。

私の経験では、バツをつけられない子供というのは、間違えたことを、単に間違えた、ということ以上に過大に捉えているように思う。例えば人格が否定されたとか、身体が危険に晒されているとか、そんな感じに。端的には、バツをつけるのが怖いのであろう。

こういう子供の心理には、親の影響が少なからずある。中1までは気合と分量で良い成績を維持していた生徒が、抽象度が上がってくる中2の単元で見る影もなく脱落していくことは良くあったし、そういう子の親は、たいてい嫌なツラをしていたものだ。

子供が成長するのを喜ぶのではなく、優秀な子供というアクセサリーが好きなタイプ。母親が多い。100点を取るということが愛情を得るための手段になって、理解することや成長はどうでも良くなってしまうのかもしれない。

また、女子が特に自分でバツをつけられないという話も首肯せざるを得ない。おそらく、事実の提示に過ぎないバツを尊厳の否定として捉える傾向が拭い難くあるのだろう。

長男はさほど苦労せず(一度、てめえは何のために宿題やってるかわかってねえな?とブチ切れただけで)バツをつけることができるようになったが、次女と三女にはよくよくこのことを理解させなければならないのだな、と今から暗澹たる気分だ。

私は、社会的に形成される前段階においては男女に生得的な能力の差は存在しないという前提に立つ男女平等原理主義者であるが、未就学児の次女、三女を観察している限りでは、理想よりも現実を優先した教育が必要であると感じる。要するに、長男にこれを教えるよりも、次女と三女にこれを教える方が、はるかに面倒だろうという予感があるのである。

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