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かつて「NK流」で名を轟かせた西川口の昔と今

どうも、岩田夢雲です。

京浜東北線の西川口、この街は”大人の街”として異常なほど繁栄した時代がありました。

西川口が最も活発だった時期が1990年代の後半でしょうか、当時の私は週2回~3回ほど西川口に通い詰めておりました。

私が西川口へ訪れる理由は大人のプロレスと申しましょうか、それとも夜の大相撲とでも表現しましょうか、汗と液がぶつかりあう勝負の場所、40分一本勝負や90分2本勝負などなどの激しい名勝負を繰り広げてきたマイフェバリットシティ...それが私にとっての西川口です。

そんな西川口の今と昔、2020年現在における大人のプロレス会場は1ブロックのみの狭いエリアしかありません。

しかしかつての、1990年代後半の西川口にはかなりの数の大人のプロレス店が存在しておりその数200とも500とも...正確な数を把握していた存在は少ないでしょう。

時代はノストラダムスの大予言が当たるか外れるか?のアナログ色が濃い時代、私の遺伝子は白い液体となり西川口の街に吸いこまれていった...

NK流とは?

この記事における一つのテーマであるNK流、発音は「えぬけいりゅう」となりまして西(N)川口(K)からのNK、流とは作法や流儀のこと。

NK流=西川口流となり、西川口流の略語・隠語がNK流、大人のプロレス店に電話して「NKですか?」なんて聞けばYes/Noで答えてくれる途方もない世界です。

NKの語源が何となく分かったら次は流・流儀。

これは本来ならば如意棒的なものを入れてはいけない場所に入れてもOKの意味、格闘技風に例えるなら一般的なプロレスとは違う地下格闘技のようなものです。

隠語を無くせば「本」の文字で語ると分かりやすいシステム、他の隠語では「基」や「蟻」なんて表現をします。

さらに分かりやすい表現をするとホンサロ、ホンヘルなんて言葉になるでしょうか、一般常識的に石鹸王国でのみ許される技が西川口では石鹸王国以外でも可能、しかも当時の西川口では一試合40分一本勝負でS席8000円前後といった破格の試合料でした。

これがかつてのNK流の真実であり全国から大人のプロレスを楽しみに訪れるほどにまでに影響力を持つ....今になって思えばとんでもない世界です。

雑居ビルから普通の賃貸マンション、木造アパートまで

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1990年代後半から急激に全国認知されるまでになった西川口、夜ともなれば西川口街は立ち飲み屋などで試合までの待ち時間を潰すサラリーマンやパチンコ店、ゲーセン、本屋などなどで時間調整を行う人で賑わっておりました。

当時の西川口は2020年のような怖い街、外国人が多い街、多国籍料理の街といった雰囲気ではなくピンクなネオンの歓楽街、なんだかんだいっても街の景気は良い雰囲気。

石鹸王国ゾーン前の車道にはローススロイスなどが普通に路駐しちゃったりしていたのです。

では大人のプロレス会場はどーなっているのか?となると全貌を掴むには難しいほど広範囲に点在。

一棟丸ごと店舗の異なる大人のプロレス会場だったり普通のマンション丸ごとだったり賃貸マンションの一室が会場だったり。

激安の酷いところになると線路沿いの2階建て木造アパート丸ごと店舗だったり。

どう考えても西川口で2000人は同時に大人のプロレスが出来るようなキャパが十分にあったはず...いや、その倍はあったでしょう。

ちなみに超激安店は夜のゴールデンタイムでも40分一本勝負で5000円とか。病院の大部屋みたいにカーテンで仕切られているだけ、技をかけ合う音やいく~!ギブアップ!のような声も丸聞こえの凄い世界です。

ホンサロがとくにヤバい、仕切りほぼ無しの大人のプロレス会場も

当時の西川口でとくにヤバい、面白いとされた大人のプロレス会場がホンサロと呼ばれるジャンル。

こぢんまりとした喫茶店のような広さの薄暗い会場で大音量が流れる中、各テーブルとイスで各々がNK流を行っていたのです。

席によっては当然丸見え、オッサンが3カウントフィニッシュする顔も丸見え、一応レフリーが常時巡回しているものの、何を警戒しているのか不明すぎる巡回であり全くレフリーになっていません。

そんなホンサロも慣れてくると友人と一緒に訪れ、お互いをチラ見しまくりフィニッシュ後に居酒屋で反省会&回復タイム、第二ラウンドを別の大人のプロレス会場で...なんて遊びをしてみたり。

より高度な遊びになると隣の席のオッサンが3カウントフィニッシュするのに合わせて自分もフィニッシュしてみたり....嬢も狂っている方が多かったように思います。

力士タイプのレスラー嬢を専門的に揃えている会場は以外に少なかった

私の好みと申しましょうか、タイプを白状しますと力士タイプのレスラーが好きでございます。

さすがに120キロのヘビー級になると難しいものがありますが理想は70~80キロのミドル級と申しましょうか、ちょいポチャより少し上ぐらいの微妙なゾーンが好きです。

しかし当時の西川口にはそのような力士タイプ専門店は少なく、どちらかと言えばスタイルがよいタイプのレスラー嬢が多かったのです。しかも年齢層も若め、20代前半のレスラー嬢が普通に沢山存在していました。

2020年の西川口はどちらかと言えば30代~のレスラーが多い雰囲気、それでいてNK流は無しで高い(石鹸王国は蟻)となれば当時の西川口が人気の大人のプロレス街となった理由も分かるでしょう。

レスラー嬢は西川口周辺から通うレベルなんてものではなく群馬、千葉からの通いなんてのは当たり前の世界です。

つまりレスラー嬢にとっても稼げる魅力的な街だったのですね、当時の西川口は。

実際問題、店外をして自宅に送るよ~なんて話になって送った場所が千葉の松戸だったり...

茨城から週2で通っていたレアなレスラー嬢は茨城で自分のスナックを持っている経営者だけどリアル仕事の稼ぎが悪いので西川口に出稼ぎ...なんて方も、私の超絶オキニでした。

さらに強烈になると草津から隔週ぐらいで西川口に出稼ぎに、泊まる場所は店、朝から晩まで大人のプロレス、営業終了したら寝る、再び朝からレスリング開始するなんてレスラー嬢も。

あの時の私は西川口が一生続くと信じていました、つまり一生大人のプロレスリングに困ることはないだろう...と思っていました。

私のマイフェバリット店だった「カルピスドーダ」「マンピース」は西川口が壊滅した時から2020年の今でも空き雑居ビルのままです。

大規模摘発~壊滅

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大人のプロレス街として繁栄した西川口、当時は”吉原を越えた”なんて呼ばれるほどの盛況っぷりです。

朝っぱらからスーツを着たサラリーマンが平気で西川口の街を歩いている、案内所にいる...どうみても仕事ではありません。

夜になれば仕事終わりのサラリーマンが沢山、待ち時間にパチンコ、居酒屋、ゲーセン、コンビニなどなど皆さん下半身に熱いものを溜めこんで西川口の街に溶け込んでゆくのです。

しかしそんな繁栄を誇った西川口が一気に異常な雰囲気になります。

時期は2005年あたりでしょうか、休業日が増える、営業している雰囲気がなくなる、営業していたとしても看板が外されている...

そう、摘発です。それはたまにある摘発ではなく大規模摘発、歌舞伎町から始まった大人のプロレス浄化作戦が西川口にも波及。

私のマイフェバリット店も次々に無くなってしまい2年ほどで壊滅しました、現在ある一区画を残して。

浄化作戦真っ只中の大人のプロレス会場は隠れて営業を続けていたりするものの結局は閉店、恐ろしいのが対立するA店、B店があったとしてA店がスタッフの知り合い等に頼んでB店でNK流、それをタレコミするなんて噂を飲みやで聞いたことがあります。

大規模摘発により関連する業種が次々とおかしくなる

大人のプロレス会場が無くなると困るのは経営者、スタッフ、レスラー嬢だけではありません。

タオルやイソジン等を納入する業者、ホームページ作成業者、カメラマン、送りドライバーといった大人のプロレス会場との取引先は勿論のこと、近隣の居酒屋、飯屋、立ち飲み屋、タクシーなどにも波及。

当然ながらプロレス会場ビルのオーナーは家賃の問題、西川口に住むレスラー嬢がマンションから出ていく、大人のプロレス会場経営者がレスラー嬢の寮として借りていたマンションも解約...

摘発中もしぶとく通い続けていた私には西川口の経済が終わる様をマジマジと見てきました。

壊滅後はビルが取り壊されて新しいマンションになったりするところもあればいまだに空き店舗募集中だったり。20年も空き店舗だらけの雑居ビルがあったりしてしまうのです。

今でも西川口に通う私は現在でも残る一画でレスリングをしたあと、当時のマイフェバリット店の前まで見に行くもずっと無人のビルのまま、一階テナントすら募集中のままです。

出来ればビルのオーナーに頼んで当時通い詰めた大人のプロレス会場フロアを見せてもらいたいもの、3畳ほどの小部屋が沢山あったフロアとか当時のまままのでしょか、それとも内部は朽ち果てた廃墟みたいになっているのでしょうか...

蕨も壊滅

実は西川口の隣駅の蕨駅もNK流が存在していたのです。

もっと詳しく解説すると西川口のから蕨までの線路沿いにボロいアパートに大人のプロレス会場がぽつんぽつんとあったりしました。

蕨の大人のプロレス会場は西川口の相場よりもワンランク低め、西川口で一試合7Kレベルなら蕨で5Kといった感じです。

ただし蕨は大陸系と呼ばれるレスラー嬢がけっこういた場所、日本人ではないレスラーのことです。

当時の蕨は大人のプロレス会場は少なめ、30会場も無かったはずです。

西川口のオキニ店がどこも2時間待ち、でも予算は10Kなんて時は蕨へ...みたいな方もけっこう多かったのでは?なんて。

そんな蕨の大人のプロレス会場も西川口同様に壊滅、ただし蕨は2020年の西川口のように20年も空きビルなんてのは無いかと思います。

会場が少なかっただけあって再興が早かったのでしょう。

箱型からデリバリー型へ

西川口が壊滅、NK流も壊滅となると大人のプロレスにどっぷりはまっていた客は「次はどこだ?」とエリアを探しまくります。

これは大手ネット掲示板でも当時は活発に情報交換がされておりまして越谷流や鶯谷流なんて噂で盛り上がっていました。

ところがどこを探しても〇〇流が存在しない、実際に噂の現場を訪れても〇〇流にならない。箱型と呼べる形態でのNK流は完全に消滅しました。

代わりに台頭したのが無店舗型のスタイルでありデリバリーと呼ばれるジャンルです。

ただしデリバリーとはいっても確実にNK流があるわけではない、もともと西川口でレスラーをしていた嬢はNK流OKのような方もいましたが確実ではない。

電話の時点でNKですか?と聞いても教えてくれない、NKって何?なんて回答をされたり。

それでも西川口壊滅後しばらくした当時、NKが可能な無店舗型を探す方法は存在。それは幹線道路やメイン道路から外れた道路の電信柱に張り付けてある張り紙、携帯電話の番号が書かれている怪しい雰囲気しかしないアレです。

そんな張り紙も令和時代となればめっきり見なくなりましたね、昔は電話BOXでも情報収集できたものです。

踏み込まれた時、客としては任意捜査としての対象

ここからは大人のプロレスごっこをしている時に踏み込まれた時にどうするか?客は捕まるのか?と、大人のプロレス好きが気になる話。

私の経験を申しますと大人のプロレス中に踏み込まれたこと....あります。

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