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ただのメンヘラクソオタクがモブサイコ100原作&アニメ展覧会〜軌跡〜に行った後自分語りするだけ

※ネタバレ&自分語り注意

ぼっちで行ってきた。
見ている間色んな感情が吹き出してきてずっとここにいたいという気持ちと逃げ出したい気持ちが同時に生まれる非常にアンビバレンスな時間だった…

改めて、モブサイコ100は私の人生に相当な影響を与えているように思う。
18歳あたりの自分の記憶を振り返ろうとしても、辛いこと以外はほぼモブサイ関連のことしか思い出せない。
その年頃は人生において最も暗黒だった時期というのもあるのかもしれないが、モブサイコ100という作品はその時期を支えてくれた素晴らしい作品であり、今でも私の血となり肉となっている。
しかし逆にモブサイコ100に関するものを見るとその時期を思い出しやや暗い気持ちにもなっていた。
面倒臭すぎる感情を抱いている厄介オタクである。(だからちょっと逃げ出したくなった)

原作は連載当初からちまちま読んでいたのだが、アニメ版を初めて見たときは度肝を抜かれたのをよく覚えている。楽しみすぎてリアルタイムで視聴したのだが、毎話ごとに予想のはるか上を見せつけられ、凄すぎて言葉が出なかった。これがボンズクオリティ…
そして当時霊幻新隆に狂いまくっていたわたしはボンズによる圧倒的作画によって描かれる彼に夢中になるしかなかった。
(あの頃は霊幻が不幸になるだけのメンへラ二次創作ばっか描いてたな…ごめんな…)

そのため展示入り口付近に霊幻新隆(本物)がいらっしゃった時は声が出そうになり危なかった。
「い…いる!!!!!」と心の中でキモすぎるリアクションをとり、周りの目を気にしつつ爆速でツーショを撮らせていただいた。
本当は向かいの席に座って、相談に乗っていただいているような写真も撮りたかったが、長時間立ちっぱで激萎えしている表情のスタッフさんにお願いすることもできず泣く泣く諦めた(陰キャ)

でも、本当にどの角度から見ても最高に顔が良くて胡散臭くてスタイル良くてリアリストで臆病で器用貧乏でかわいくて最ッッッッ高の男だお前は……………となったので非常に満足だ。あの空間の制作に携わったすべての人々にLoveを送ります。

今だからこそわかるが、霊幻新隆というキャラクターは18の私が感じていた底なしの不安や孤独感を埋めてくれるキャラクターだった。完全に自己投影型メンヘラとしか言いようがないが、私以外にも彼に共感した人間は少なくないと思う。
彼が背負っている空っぽの部分は、現代に生きている人間ならば必ず一度は感じたことがあるものだ。
しかし、普通に生きていると、なぜかそれが自分だけなんじゃないかと思う瞬間が何度も訪れる。
かくいう私もその当事者であったが、そんな中モブサイコと、霊幻と出会ってしまったので、勝手に一緒に不幸になってくれる相手を見つけた気になり、めちゃくちゃ沼った。(本当にキモすぎる)

時は過ぎ、成人してしばらく経ち、他のジャンルにハマったり色んな経験をした後、追えていなかった分の原作を買って最終回まで読んだ。

霊幻は、救われていた。
厳密には、本質的な部分は変われていないが、己を曝け出し幸せになっていた。
それを見て、少し寂しい気持ちになったが、それ以上に霊幻が幸せになったことを心から喜ぶ自分がいた。
18の時の自分なら、なんで自分を置いて1人だけ幸せになっちゃうんだよ…とか思っていたのだろうか。
というか、もうあんな展開見せられちゃったら、全員幸せになってくれよ頼むから‥という気になっちゃうし、ボロボロの霊幻新隆がモブくんに与えた言葉は、過去の私への餞別のようにも感じてしまって、読みながらポロポロ泣いた。
ONE先生の力量により、わたしは霊幻という依存から抜け出すことができたのだ(?)

キモオタクのクソデカ感情を綴ったからなんなんだよという感じだが、この辺りの話は自分でも蓋をして封印していたような部分なので、これを機に今の自分が過去を振り返ってみて、思うことを記録しよう、となりこれを書いた。

ちなみに勿論物販にも寄り、9000円分くらい買ったのだが、ふとモブサイコのグッズを全然持ってないのはなぜ…?
と考えたのだが、当時引きニートだった私は勿論金がないので、グッズ買えなかったんだな…と思い出し、悲しくなった。
その分今回で発散できたので良かった。労働万歳…

自分の気持ちの整理がついた綺麗な状態でもう一度見に行きたいので、絶対もう一回行くだろうな。

そしてまた霊幻ってイイよなと思うに違いない。


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