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『スワロウ』

2021/01/27 ヘイリー・ベネット主演

痛いだろうなと思ってこわくて見逃そうとしていたが、グロに耐えて観た甲斐があった。ビー玉や土や電池や押しピンや、さまざまな異物を呑み込んでしまう女のはなし。
「異物」というテーマにも関心はあったが、摂食障害の一種と解釈して興味を持った。作中では「異食症」という言葉が使われている。
病院の診断で症状に名前が付けられると、途端にものすごい病気のように聞こえるが、自傷行為なんて案外日常生活に溢れているように思う。中高時代、リストカットをしている人こそ知らないが、胃が痛くなるまで物を食べたり、眉毛を抜き続けたり、半ば意図的に過呼吸になったり、血が出るまで皮膚を掻きむしったり、みんなそれなりに自傷行為に励んでいたと思う。

伊藤比呂美『女の一生』に忘れられない記述があるので引用する。
「自傷行為とは、自分を傷つける行為のことなんですが、傷つけて痛いのに何がしかの快感もあり、痛み(ないしは快感)を感じることで、ストレスが一瞬減るという効果もありまして、くり返しやってしまう、そういう行為です。『つめかみ』『各種の毛抜き』『リストカット』『摂食障害』……みんな自傷行為です。わたしは、若い女の『性行為』なんてその最たるものと考えています。(中略)そして『性行為』が自傷行為と言えるのなら、『飲酒』『喫煙』『ドラッグ』も、もちろんそうですね。それなら、『化粧する』『おしゃれする』もそうです。『化粧しない』も『おしゃれしない』も『学校に行かない』もそうです。『清潔にする』もそうだと思います。」(pp.47-48)
まったくもってそのとおりだと思う。どうしたらいいのだろう。

『スワロウ』は"呑み込む話"だが、その前に少し"吐き出す話"をしたい。
「泣いたらすっきりする」と「吐いたら楽になる」は同じだと思う。以前、なんだかもうとにかく何かをげーげー吐きたい気分だった時、とくに吐く物もなかった私は、代わりにそういう文章を書いた。口から出産するはなし。ピッコロ大魔王の最期みたいな図を想像してもらいたい。(彼は死に際に口から卵を吐く。)
その文章は、とくに何のメタファーとも考えずに書いていたのだが、吐くことを語ることと捉えて読んでくれた人がいた。たしかに、口から出産するというのは、自分の分身を吐き出すという意味で、物語る行為によく似ている。(その人も私も「語りすぎ病」を自称している。これもきっと、一種の自傷行為だ。)

吐くことと語ることが同義なら、呑み込むことと黙ることも同義に思える。
ヘイリー・ベネット演じる主人公ハンターが、逃げ道のない家庭内で夫とその家族に追い詰められていく様は、直近で観た『リップヴァンウィンクルの花嫁』によく似ていたほか、田山花袋の「蒲団」も思い起こさせた。話を聞いてもらえない女。語る手段を持たない女。声を発せられずに呑み込む女。
ハンターの母はレイプが原因で妊娠した。中絶しなかったことでハンターが産まれたのだが、映画の最後でハンターは自身の子どもを中絶している。吐いても呑んでも、語っても黙っても、産んでも降ろしても、自分を傷つけてしまうなら、自分でその道を選んだだけでも良しとすべきなのだろうか。どうすればいいのか私にはまだわからない。

注:引用は伊藤比呂美『女の一生』(岩波新書、2014年)に拠る。

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