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『あわのまにまに』

吉川トリコ,2023,角川書店.

読了してすぐ、ため息とともに出た言葉は「かっこいい…」だった。この奥行きを、この精度で、しかもこんなにリーダビリティ高く、書けるなんてかっこいい。

同性愛とか不倫とか幼馴染とか、関係が複雑で盛り込みすぎだって言ってる人もいたけど、いやいや、全登場人物がちゃんと人間として物語の中を生きてるの、こんなん書けんの天才よ?

2029年から10年ごとに時間を遡りながら家族関係が描かれていくのだけど、各年代の空気も、舞台設定の色もその時その場所にいる語り手の感覚になって読めた。文章が良い。

どの作品にもぴったり似てるってものはないのだけど、川上弘美『水声』江國香織『ホリー・ガーデン』今村夏子『星の子』笙野頼子『母の発達』を思い出した。つまりは私の守備範囲のど真ん中ってこと。甘やかな肉親との関係、姉妹的親友との距離感、家出する姉兄を見送る妹、産まれてしまった命の業と猥雑さ。

「恋はいつか終わるけど愛には終わりがないから、女は子どもを産むしかないんだと思う。ほら、子どもは愛の結晶だって言うでしょ? 形にして残しさえすれば、けじめになるじゃない。そしたらもう、愛にとらわれて生きずに済む」

「1989年のお葬式」p. 230

そうだとしたら私たちの愛には行き場がないと不安そうにする妹的親友に向けて「私たちにはこのお店があるじゃない」(p. 231)と彼女は答える。これを読んで、私はこないだ詩を書いてる子と建築をやってる子と深夜2時に中華料理屋で話したことを思い出した。

その瞬間とかその時の自分を残しておくために詩を書いていると言うその子が「遺伝子だけが自分を残す手段じゃない」と言っていたのを聞いて、私はとても新しいアイデアだと驚いたのだけど、建築の子はわりとスッと納得していた。その子が尊敬している女性建築家も似たような価値観で自身の建築を捉えているらしい。

私はその場に「演劇をやる人」として参加していたから、でも劇って保存できないしな、完成された舞台よりむしろその前段階の稽古場のほうに楽しみとか意味があるかもしれないな、とか思っていた。

父方の祖父は私が1歳の頃に癌で亡くなっていて、だから私は生身のおじいちゃんのことを全く覚えていないのだけど、祖父の遺句集なるものが実家の本棚に挿さってるのをたまたま発見して驚いた。このnoteに私がいるのと同じくらいには、その句集にはおじいちゃんがいる。そういうことよね?

自分の中に神さまを増やすこと。死者の魂を着ること。血縁とかセックスとか以外でだれかと深くつながる方法があるのだとしたら、寅郎はそれを知ってるんだと思った。

「1999年の海の家」p. 218

「いのり、結婚しよう」
(中略)
だって、そうするしかないじゃないか。俺が男で、いのりが女なら。海までドライブして、すいかの種を飛ばしあって、夜になったら花火をして……夏休みの子どもみたいに、ずっとそれだけでいられたらよかったんだけど。

同上pp.219-220

なんの話ってひとことで言おうとするのはたしかに難しいんだけど、私は愛の保存の試みの話だと思った。「愛」という言葉の内訳はそれぞれの人物ごとに違っていて、その感情の説明は論理的ではないのに納得できる切実さがある。

愛=①異性間の②性的関係を伴う③恋愛感情
というコードがあまりに強くて、たとえば女が2人登場して「愛」に言及すればたちまち同性愛を描いた作品として処理されたりする(それで前回の演劇公演ではいらいらしたことがあった)けど、この小説はひとつひとつの言葉や感情が借りてきたものでない、既製品ではない確かさを持っていた。だからここには人間がいると思った。

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