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「上野リチ展」

2022/03/20
@三菱一号館美術館

12月に京都に来てた時からずっと行きたかった!その時は行けなくて悲しかったけど、あとで東京に来ると知って心待ちにしていた。

「ウィーン生まれのカワイイです。」ってコピー考えた人、天才ですか?生まれてくれてありがとう、カワイイでした。リチって名前がいいよねえ憧れる。

ファンタジーがテーマだと至るところに書かれていた。この鮮やかな色づかいはわたし好きだな、わたし色のあるものが好きだな。植物が幾何学模様になっているとウィリアム・モリスを思うけど(詳しくない)、葡萄やそらまめの蔦植物の他に、花鳥図屏風はすごかったな。幾何学的でポップで和風!ギリシアと中国の中間、イスラームの文化にわくわくそわそわするみたいな。鳩、アフリカ、象と子ども、海老文刺繍皿敷、野菜文青色皿敷が好きでした。

ちょっとした愚痴をこぼすといつも適度なユーモアを添えて私を助けてくれる友だちがいて、彼は適度なユーモアだけで二十数年乗り切ってきたと言っていたけど、それはとてもすごいことだ。適度なユーモアさえあればきっと100年生きていけるよ。
私にとって最近それは可愛いことだな。リチとかヒグチユウコさんみたいにキラキラどきどきするものに心躍らせること、それってただちょっと楽しい以上の意味を持ってる気がする。
もともとは可愛いことってそのままイコール価値のあることとはあまり思っていなくて、私はかっこいいとか面白いとかは無条件に肯定的な意味合いで使っているけど、可愛いに関しては肯定的な意味もあれば下に見る・蔑ろにするような意味もあって、たとえば白いとか長いとかと同じようにただその性質を表す形容詞として使うこともあるかなと。(ex. いわゆる量産型ファッションの女の子たちが集まっていると「可愛い」。けれどこれを肯定的に用いるか否定的に用いるかはそのときの状況に依存しそう。)
で、この考えは基本的に今も保持しているのだけど、可愛いことそれ自体に価値を見出すことが最近多くなってきた気がしてる。そりゃ「カワイイは正義!」だけで100年乗り切れはしないけど、愉快なことと可愛いことに助けてもらいながら生きていこうねっていうはなし。

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