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『最愛の子ども』

2021/01/21 松浦理英子作

へんな小説を読んだ。裏帯が良いのだ。
「どれだけ賢ければ波風立てずに生きて行けるのだろう。
どれだけ美しければ世間にだいじにされるのだろう。
どれだけまっすぐに育てばすこやかな性欲が宿るのだろう。
どれだけ性格がよければ
いまのわたしが全く愛せない人たちを愛せるのだろう。」(pp.230-231)
本編を半分も読めば、まあこれを言うのは真汐だろうなとわかる。これだけでもう、ちょっと泣きそうになる。

きょうだい仲、夫婦仲、親子仲の良し悪しが、それぞれいろんな現れ方をしている。空穂の場合、ネグレクト、というのか何なのか。放任と庇護と、少しの暴力。
「虐待」とか「DV」とか「毒親」とか、家庭に沈殿するじくじくして重苦しいあれこれに、最近でこそいろいろと名前が付けられたけど、そんなふうにこれらを「社会問題」として均質化した捉え方を、この小説はしない。語りの多くが伝聞と推定で構成されているからか、あくまで流動的に、家庭内の「家族」から翻った教室内の「擬似家族」が、連綿と語られていく。

この本を読んだのは、クィア論の授業でこれを扱ったから。先生曰く、ここで描かれているのは、バイとかレズとかのセクシュアリティ以前、もっと前段階の、名づけられない性的嗜好なんだと。そのように描くことで、この物語の登場人物にはなれなかった語り手の「わたしたち」そして読者、つまり自分はヘテロだと思っている人たちにも"あり得る"欲望の可能性をひらいていく、、みたいな、そんなことを言っていた。

名づけることで事実を狭く限定するのを避ける、というのは、前述の家庭内問題にも共通すると思う。それから、登場する女子高生たちの自我についても。語り手が用いる人称が「わたしたち」なのが憎い。わかるから。私たちもそうだった。
「ここで『わたしたち』という主語が使われていることに関しても、自分は『わたしたち』の中に入れてほしくない、安易に『わたしたち』なんて言うな、と不満を抱く者もいないとは限らないのだが、そんな不安につきまとわれながらも、わたしたちは小さな世界に閉じ込められて粘つく培養液で絡め合わされたまだ何ものでもない生きものの集合体を語るために『わたしたち』という主語を選んでいる。」(p.66)
「わたしたち三人も同級生たちも、一生<ファミリー>などと言って遊んでいられるわけではない。真汐とも空穂ともいずれ離れる日がやって来る。高校生活だってあと一年と少しだ。大学はみんなそれぞれの志望大学、志望の学科に進むから毎日会うこともなくなって、新鮮な生活の中、高校の同級生への関心は薄くなるだろう。誰が友達として残るか今はまだわからない。」(pp.114-115)
ここの部分、語り手の人称がいつのまにか「わたしたち」でも「日夏」でもなく「わたし」になっていた。やられた、と思った。

それから、男性が含み持つサディズムへの憎悪。ここで語られる男性体育教師や男子生徒たちの卑劣な人物像は、語り手の「わたしたち」によって歪曲されているのだろうけど、真汐が無意味にとがっている理由は身体感覚としてわかる。ティーン後半の女の子の、この存在しているだけで「わたし」の外部の人々をぶすりと刺してしまうような硬さと弱さ。「弱い」と「脆い」はニアリーイコールで語られることが多いけど、こういう場合の「弱い」は「硬い」になるのだね。(このあたり、川上弘美『真鶴』にてめちゃめちゃ巧く書かれていたのだけど、いまは手元にない。かなしい。)
「わたしたちが男子たちにいやなことを言われても言い返さないのは、平気だからじゃなくて男の憎しみと腕力には絶対かなわなくて怖いからだとも言った。そしたら藤巻さんは男子も実は女子を恐れてるんだって言うの。だから反論したの。そんなの現実にそぐわないことば遊びだと思う、だって圧倒的に男子の方が女子より腕力が強いんだから、男子が女子に感じる恐れなんてそんなに大したものではないでしょうって」(p.104)
真汐に同意しかけて、留まる。少し前、知り合いの男の子が「俺はねー、女子全般、やっぱこわいんだよねー、」と話していたのを思い出す。(男の人、か?青年、男性…?最近、同い年くらいの男を何と表現すればいいのかわからない。「少年」は、さすがにそろそろ使えない。そういえば、「少女」からちょっとはみ出したような年の女を指す言葉がないのにも困っている。)
けれどこちらの「弱い」は「硬い」にならないきがする。外部の人間をぶすぶす刺したりも、たぶんしない。

青春、と言ってしまえばそれまでだけど、高校生ってまだ存在が定まりきっていなくて、未来への漠然とした不安もあって。もう高校生じゃない私は共感してばかりはいられないのに、やっぱり未来は不安なままで。でもあの未分化の「わたしたち」の時間は戻ってこないのだなあと思うと、甘く寂しくなる。

注:引用は松浦理英子『最愛の子ども』(文春文庫、2020年)に拠る。引用に際して適宜ルビを省略した。

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