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9月、物理的にすんごく忙しかったわけではないけど、なんだかいろいろしんどかった月だった。なんとなくメンタルやられてた。疑念が確信に変わったりとか、しばらく続いているしこれからも続く、自分にはどうにもできないところの心配ごとがあって、いや、どうにもできなかったのか……? みたいな罪悪感を感じたり。自分の不甲斐なさを感じたり。自分にがっかりする瞬間も多かった。 ほぼ毎日noteも、息切れしている。毎日チェックしてくれている方がもしいたらわかってしまうと思うけど、後で追記しようと
去年と今年にいろんな同級生と話していて、人よりいろんなことを事細かに覚えているほうなんだということに気がついた。 あんなことがあって、そのとき◯◯がこんなことを言って意外だった、うれしかった、はっとしたとか、△△に何と言われたのが今も印象に残ってる、××とこんな話をした、など、シチュエーションや起こった出来事やそれぞれの発言や反応、自分がどう思ったかなど。大事なものを置いた場所や今日必要なものはすぐに忘れてしまうのに、細かいことを覚えてるのだ。 「ぐみ、よくそんなこと詳し
行っていた中高は英語の教育に力を入れていて、ネイティヴの英会話の先生がいた。高校生のとき、同級生が亡くなった。お葬式に行ったのも同じ年頃の人が亡くなるというのも初めてだった。当然だけど、悲しかった。そんな悲しいことはドラマの中では起こるけど、自分のまわりでは起こらないんじゃないかという気がしていた。そんなことはなかった。 彼女が亡くなった翌週か翌々週の英会話の授業で、先生はみんなにプリントを配った。英語で「◯◯さんの死について何でもいいから感じていることを書いて」と書いてあ
大人になってから、いや、大学生になってからか高校生のときから、自分より頑張っている人、すごい人を見てわたしはまだまだだなと思うことばかりだった。 今も、自分よりすごい人を見て自分は努力や行動が足りないなと思っている。それは悪いことではなくて、変に過信しすぎたり満足して努力しないよりいいとは思うんだけど、なかなか自分を認められなくて苦しくなる。 先日行った、コピーライター養成講座叩き上げ編の合宿。先生のひとりが、近況を話したわたしにこう言ってくれた。 「お前、ひどい会社に
大きなことがあったわけではないけど、いい意味で些細な心の動きを感じる日だった。 帰り道、遅くなってしまったが、暑すぎず寒すぎず、うるさすぎず静かすぎず、涼しめの風も吹いていてとても心地いい夜だった。実際心地よい夜だっし、そのことに気づけて嬉しかった。 地元で電車を降りたとき、反対側にガラガラの上り電車が入ってきた。朝ガラガラの下り電車を見るとこのまま乗ってどこかへ行きたいなと思うのに、夜見てもはやく家に帰ろうと思うだけで乗りたいとは思わないな。 仕事の後、長引いて遅れて
4年前の7月、盲腸になった。痛みを感じてから半日後(深夜)には手術台に乗っており、それまで手術したことがなかったお腹に傷ができてしまった(少し前に首と背中のほくろを取る手術はしたけれど)。 仕方ないこととはいえ、やっぱりちょっとショックだった。 そのあと盲腸だったことを話すとき、友人たちにはそのことを伝えたのだが「ああ、それはショックだよね」とか「わたしも手術したけど年々薄くなるよ」と言ってくれる人が多かった。 ただ一人だけ、かなり独特な励まし方をしてくれた友人がいた。
先日の試写会に行く途中、予定外に仕事が長引いて急いでいたのだけど、あまりに青があざやかできれいなあじさいがあったから思わず撮ってしまった。 こんな濃い青、なかなか見ない! 道端の花に心惹かれて写真を撮ること、たまにある。周りを見ずに歩いてることも多いけど(芸能人とすれ違ったというときだいたい気づかない)周りに目を向けているからこそ気づける魅力や幸せってあると思う。 目の前にあるものやことばかりに囚われてしまいがちだけど、一歩引いて広い範囲を見るようにしていきたいな。きっ
最近人に言われた言葉が心に残ったので書きとめる。 「ぐみさんは繊細だと思う、ものごとやできごとに対する熱量がすごい。それは私にはないところでいいところだと思う。でもくだらない人の言ったことやすることなんて気にしないで、大切なことにだけその熱量を使ったほうがいい、もったいない」 これを明るく笑顔で言ってくれた。 彼女とは知り合って間もないけれど、新たな発見と腑に落ちた部分があった言葉だった。 私は気にしぃだ。いちいち悩む。ふまじめなんだけど、自分で言うのもなんだけど生真