性格の善し悪しの話

人格矯正プログラムを受けている。

この話はフィクションだと思いたいし、そのつもりで書きたい。組織の人間によると、私は性格が悪く、今すぐに治さないといけないらしい。

この世に性格の悪い人はいないと思う。それは私も例に漏れずだ。明るく、ならないといけないと言われた。私のような暗くネガティブな人は悪であると教えられた。私は組織に入りたいと思っている。が、暗い人間は我々の組織にはいらないと言われた。

この世に性格の悪い人はいないと思う。なぜなら、その組織が、明るい人だけで構成されているからだ。明るい人しかいないから、暗いのは悪だとされるのだ。でもそれは悪ではなく、ただ「違う」というだけなのだ。

明るい人は、人の痛みがわからない。そんなことないと言われそうだが、そんなことある。あるから明るくなれと言えるのだ。あるから強い言葉を強く吐けるのだ。強い言葉を強く使う奴は嫌いだ。強い言葉こそ気だるげに使わなきゃ。

変わりたくないと思う。性格が変わるって、今の私が死ぬことだと思う。でも私は死にたいんだよな。ちぐはぐだ。

私は精神薬を飲むのが嫌いだ。なぜなら、今の私の憂鬱はどこへ消えるのだ、と思うからだ。私は憂鬱を消したいのではなく、憂鬱になった原因を断ちたいのだ。痛みだけ消してもまるで意味がないと思う。

人格矯正プログラムは学校のようなもので、とても忙しい。通い始めてから、なくなったはずの希死感情が再発した。私は組織に入りたく、プログラムも受けたくて申し込んだのに、こんなに死にたい。まあ、入る前は人格矯正だとは知らなかったんだけど。好きなことをしているはずなのに、ふとした時に、ふとしなくても、めちゃくちゃに死にたくなる。

好きなことが楽しいと思えないのは、病気かもしれない。この間まで元気だったのに、ついさっきからクソ死にたい、それがまた少し治って、しばらくしたらまた死にたくなって、というのを繰り返している。いよいよ本当に双極性障害なのかもしれない。これから憂鬱になった時はカレンダーに記録をつけようと思う。

辛くなく通えたらそれが一番いい。
それが無理なら診断書をもらって辞めたい。

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