『現代音楽がもたらしたもの』(指定)

 現代音楽は、それまでの音楽に対して2つの側面で大きな影響をもたらしたと考えた。まず1つ目の側面として、作曲の幅について論じていく。
 作曲の幅とは、音の種類や技法のことである。授業を受けて、現代音楽の歴史は「蔓延する流行や風潮への批判、対抗」と「他の人がまだやっていないことをやる」という2つの軸で紡がれてきていると感じた。歴史の中で生まれた新たな手法が新たな流行となり、またそれを批判する勢力が新たな手法で音楽を作り、それがまた流行となることを繰り返しながら現代音楽は発展してきた。そうして増えていった音や技法はそれまでの音楽にも応用することができ、作曲をするときの選択肢が広がって今日に至っている。このように、現代音楽の存在は作曲の幅、ひいては音楽の幅に多大な影響を与えていると言えるだろう。
また、流行への批判から生まれたものが流行になっていくのは少し皮肉なところがあって面白いと思った。それとは反対に、引用や新ロマン主義のようにいつかは批判されたものが年月を経て新しい対抗の勢力として再度現れてきたりすることもある。授業ではこれまでの現代音楽の変遷を学んだが、これからは今まさに生まれようとしている新たな音楽も追っていきたいと思った。これは私自身にもたらされた現代音楽の影響である。
 次に、2つ目の側面として、個々が持つ音楽に対する認識が挙げられる。現代音楽の歴史は嘲笑と罵声とともに始まったと学習したが、それらは「こんなものは音楽ではない」という感情からきているものであったと推測できる。この感情は、今まで自分が持っていた「音楽とはどういうものか」という価値観に気付いていないと出てこないものだと思う。自分の思考の外にある前衛にぶつかったとき、その衝撃で自分の持っていた形がわかるようになるということだと考えた。その後、その前衛を受容すれば価値観は広がり、拒絶すれば元の価値観の輪郭がはっきりとする。このように、現代音楽との出会いは、それぞれが持つ音楽の価値観を深めるというはたらきがあると考察した。これこそが、現代音楽がもたらした
個々が持つ音楽に対する認識への影響だと言えるだろう。
私の音楽に対する認識は、無調音楽に出会ったときに深まった。
調性のない音楽を聴いたとき、今まで聴いていた曲たちはいかに小さなルールの中でのみ作られていたのかを知りとても驚いた。私は無調を新しい音楽として認識したので、作曲や鑑賞できる音楽の幅が広がった。
しかし、無調の曲の中でも拍節がない音楽を聴いたとき、自分にとって音楽とは拍であったことに気付かされた。拍のまとまりがない音楽は、私の中で「曲」としてはまだ認識することができなかった。私は音楽の要素の中でも特にメロディが好きなので、無調は受容できても拍がないことに違和感を感じるのは意外だった。このように、私は無調の曲に出会って、今まで無意識下にあった音楽の価値観を意識化することができた。これは、私の音楽の価値観に現代音楽がもたらした影響である。
 自分が音楽だと思ったものも、思わなかったものも、すべて音楽であると尊重して聴くことが真の音楽鑑賞であると感じた。(1306字)

めちゃくちゃだこれ

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