希死念慮に効く薬は時間しかない


という、実体験に基づく絶望。


幸せというのは、不幸せを無視することだと今日気付きました。こんにちは。筆者です。
高校時代、私は本当に死にたくてしょうがなく、生(きること)活(かされること)に支障が出ていました。実際今も死にたいとは思っていますが、最近その度合いが前よりは少なくなったのかもしれないと思うようになりました。

そう思い始めたきっかけとなった出来事があります。好きなラッパーのライブに行ったとき、そこで知り合ったお姉さんに「19歳ってもう(筆者は19歳でライブではソフトドリンクを飲んでいた)お酒飲んじゃうもんじゃないの?」と言われたのですが、それに対して私は「これから、飲めない人生の方が短くなっていくんで、今(人生において酒を飲めない期間)を大切にしたいんです」と返したのです。この言葉は口をついて出ました。全て言い終わってから、「あれ、私そんなこと思ってたんだ(思えるようになったんだ)」と遅れて思いました。死にたくてしょうがなく、未来が真っ黒だった自分が、生きたいと全く思っていなかった自分が、こんなことを言えるようになるなんて、これは、希死念慮が薄くなったと言えるでしょう。

さて、希死念慮が薄くなるまで、つまり、高校時代から今まで私がやっていたことというのは、死にたいという気持ちに効果があるのかもしれません。効いてるのかもと思うものを紹介します。

①学校を辞める
言い換えると、社会の時間の縛りから外れる、ということです。やりたくないことをやめる、という意味もあります。これをすることで「起きれない」「眠れない」というクソストレスから解放されます。やりたくないことをやらずできない自分を殺したいと思うことも無くなります。私はこのグータラカス通信制大学生活を始めて、自分に適した睡眠時間が10時間であることを発見しました。よく眠りよく眠るので、とても身長が伸びています。寝る子が育つのは本当です。

②バイトを始める
言い換えると、自分のことを知らない人のコミュニティに属してみること、またお金を稼ぐことです。(そのお金で)好きなことをするという意味もあります。効果はバイト先の環境にもよります。嫌な環境だったところは辞めました。ただ、社会勉強もできてお金も手に入るのはコスパがいいです。私はこんなにゴミですが、アルバイト(労働)ではちゃんとしなきゃいけないという根源不明の信条があったので、飛ぶこともサボることも無く全部のシフトをしっかり全うしました(しています)。今思えば(まだアルバイターだってーの)これが約束を守るとかそういう基本的な社会適合に役立っている気がします。自分が社会に適合できるかもしれないというのは希死念慮に効くと思います。

まあ生活の大きな変化だけを取り上げるとこの2つです。ざっくり言えば、よーくよーく眠って、好きなことをやる。嫌いなことは(あんま)やらない。これが私のやってきたことです。これが希死念慮に効くのかもしれません。 


そんなことできないですよね。まずこの生活は扶養内かつ親との関係が良好で、自分が働かなくても飯が食え家があり服を着て脱げるという超絶ハイパー恵まれたガキンチョ環境でのみ成立します。私は子供なので今子供たちに向けて喋っています。子供なので、この生活をおくるにあたって弊害となるものは「自分以外の否定的な声」しかありません。そういう人に向かって話します。

この生活に否定的な(例えば学校行きたくない人間に対して学校行けとか)声をかける人は、あなたが死んだら絶対、「死ぬこと無かったのに」とか抜かします。ブラック企業の社員が自殺したニュースを見て、「死ぬくらいなら辞めたらよかったのに」と言う人間は、会社に行くのがつらいという人間に「そんなんじゃ生きていけないよ」と言います。

みんな、死んだら怒るくせに、私たちが選んだ「死なないための選択」を否定します。

私は学校に行けなくなり始めた最初の方は、「学校に行ってほしい」と言う親に本当に申し訳なかったのですが、次第に「お前俺が死んだら無理に行かせたこと絶対後悔するくせによくそんなこと言えるな」と思うようになっていきました。これもまた、私の親は私が死んだら絶対に発狂するという確信があるほど親から愛を受けているから発生する思考ですが。学校に行かないということで、「学校に行ってほしい」という親の願いは叶えられなくとも、「我が子が生きている」という当たり前に大切すぎて忘れてしまうほど大切なことは叶えられます。子供を大切に思っている親にとって(自覚はなくとも)1番大切なのはどちらかと言われたら、そんなのすぐにわかりますよね。

このように、否定を拒むことが、結果的に否定してきた人の為になることもあります。そもそも否定してきた人というのは、あなたのためを思っているケースもあります(思いが見当違いなこともあるけど)。だから、否定を振り切ってあなたの生きたいように生きることは、死なない選択をするのは、回り回ってあなたを思う人のことも助けているのです。


希死念慮をなくす方法は、希死念慮がなくなるまで生きることか、死ぬことしかありません。

「生きてればいいことあるよ」も、いいことがあるまで生きていたというだけです。死にたいときに生きるのは、死ぬことと同じくらい苦しく、つらいです。だけど、それでも、希死念慮を抱えてもがき、苦しんで生きることは、希望となるのです。

これを読んでいるあなたは、今のところは、自殺では無い方の方法で希死念慮と向き合っています。あなたはこれから死んでしまうかもしれない。希死念慮がなくなるまで生きることと、死ぬこと。前者と後者の違いは、時間だけです。


希死念慮に効く薬は時間しかない

服用方法によっては、呆気なく死が迎えに来ます。
続けて服用することは希望であり、

途方もない絶望です。



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