おもんな回

モラトリアムすぎる

19になるまでは歌手になりたかったし、こないだ19になったら声優になりたくなって養成所に出願しちゃったし、そこから2週間経って今はめちゃくちゃ芸人になりたい。令和ロマンさんとぼる塾さんがいるうちに神保町よしもと漫才劇場に所属したいという目標までできちゃうほど具体的に。

もっと言えば高3の7月には急に美大に行きたいと思って絵の予備校に通い始めた(親に無理を言って通わせて頂いた)。3ヶ月で辞めた。絵は習うもんじゃないなと思った(1,2年生が通う基礎科ではなく3年の受験対策から入ったので、ずっとネタ見せだけしてた感じ。講師の人に評価されたとき、俺のネタはそういうのじゃないなというのが続いた)。でも大学は東京藝大を受けた(油画科)。余裕で落ちたけど。高1のとき美術の授業で俺の作品を盗作してきた奴が受かっててめっちゃ悔しかった。

高3の5月ぐらいまでは普通の大学を受けるつもりだった。理系選択で数IIIとかもやってた。意外でしょ。学校ほぼ行ってなかったからなんにも着いていけてなかったけど。

なんで急に、しかも高3で進路を変えたのかと言うと、私の自我が芽生えたのが高3の5月だったからだ。それまで私の感性はほぼ母のものだった。特に進路においては。

母は私に、国立(旧帝以上)の大学に行ってほしいと幼い頃(多分小学校上がるより前)からずっと言い続けていた。私もそれが正しいと思っていて(実際一般論で言えば旧帝以上の大学に行くことは人生として正しい)、将来はそうなるんだろうと漠然と思っていた。小学校の卒業文集みたいなやつに東大に行く、と書いたくらいに。高校も、母が国立の進学率を見て「ここがいいんじゃない」と言ってきたところにした。高校の最初の頃には第1志望は東大と書いた。それが次第に筑波大になり、紆余曲折を経て東京藝大になった。

多分進路希望調査票の第1志望で1番長い期間書いていたのが筑波大だと思う。志望理由には「人工知能の研究がしたい」。これを書けば母が何も言わないと思った。なぜなら母が、これからはITの時代だから、と何度も言っていたからだ。つまり私がこの進路を歩めば、母は安心するだろうと。理系を選択した理由も同じだ。私も少しAIに興味はあったが、それが能動的なものなのかは分からない。

母は私に強要のつもりで言っていた訳では無い。今になってやっと分かったことだ。「せめて旧帝大以上は行ってほしい」、「ここがいいんじゃない」、「今は理系が圧倒的に就職が強い」、「頭がいいなら私立はわざわざ行くところではない(これは関東と地方の感覚の差だから炎上しないでくれ)」。いずれも多分、大切な娘により良い人生を歩んでほしいという切実な母の教えだ。しかし、幼い私はこれを「絶対にこうするべき」という風にしか受け取ることができなかった。

が、結局私は今、母の意見は母の意見、と思うことができている。なぜそれに気づけたのかというと、ここに自我の芽生えが関わってくる。

前述の通り、私に自我が芽生えたのは高3の5月だ。そしてそのきっかけは、川上という友達に出会ったことだ。

川上は同じ高校の同級生で、私が高1の頃に仲が良かった奴と仲が良かった。つまりは友達の友達だ。

初めはTwitterでしか繋がっていなかった。本名も知らなかったので、当たり前だがハンドルネームで呼び合っていた。しかしある出来事から我々の仲は急接近する。

川上は初めて、私に「死なないで」と言ってくれた人だ。私がいつものように希死念慮をTwitterに放流していたところ、「しなないで」とDMが来た。まだまともに話したことがない段階でだ。私はずっとそんなことを思い、ツイートしていたが、死なないでほしいと言われたのは生まれて初めてだった。これが、自殺を止められ慣れている人だと「うるせえ黙れ」と思うらしいが、私は初めてだったので、普通に泣いてしまった。

そのDMのお礼としてコアラのマーチを川上のクラスに届けに行ったのが、リアルでちゃんと話した最初の記憶だ。そこからLINEのQRが送られてきて、通話をしようということになった。この段階でもまだそこまで話したことがなかったので、話し下手な私は会話が続くかどうか心配だった。まともに会話をしたことがないので、どんなことを話せば良いかわからなかった。
しかし、結果として最初の通話はめちゃくちゃ長く続き、とても盛り上がった。それから私たちは定期的に通話をする仲になり、一緒に遊びに行くようにもなり、高校を卒業した今でも2人で旅行に行く友人となったのだ。

長くなったが、これがなぜ自我の芽生えるきっかけとなったのかというと、これも話すと長くなる。ごめん。物事というのは色々絡まりすぎていて説明が難しい。私が色んなものを受け取りすぎてしまっているのか?

私は昔から、人と話すとき、「自分」が見られているような気がしなかった。私の意識がコックピットに乗っただけの、透明なぶよぶよした物体にみんなが話しかけているが、私はそれを自分に向けられた言葉としては認識していなかった。みんなに見えている何かが「私」として扱われているようだが、それは私ではない、という意識がずっとずっとあった。小学生くらいからか。

私を見ている人は誰もいないと思っていた。
人と向き合って喋っているときもずっとだ。

しかし、川上と話している時だけは違った。
川上は私を見ているように感じた。理由はわからない。ただ、私は川上といるときだけは透明ではなかった。川上は私に色を付けてくれたのだ。

それから、透明だった私を貫く言葉はなくなった。絶対だった母の意見を、色の付けられた自我というバリアが弾くようになったのだ。

こうして、今まで歩もうとしていた、歩んできた道がいかに母の意見によって整備されていたか、ということに気付く。そして、本当に自分のやりたいことはなんだ、と高3の5月にして考え始めたのだ。それでそのとき本当に好きだったのが絵を描くこと、油絵を描くことだった。だから美大を志した。そういうわけなのである。

美大を落ちてからは、私立の美大は金銭的にも行けないということで、普通の大学には行く理由もなく通信制の大学に入学した。試験はなく、申し込めば誰でも入学できる。そこのあなたも。

今年は大学1年目の年だった。ひたすらバイトと、遊びと、スケジュール管理が下手なりにやりたかったことを色々できた。川上じゃない友人と3泊で大阪京都に行ったし、12月の25日からは川上と3泊で長崎福岡大分に行く。推し(Cö shu Nie、ハハノシキュウ、お笑い)のライブにも沢山行けた。ずっと行ってみたかった顔のマッサージ(1回平均1万円)にも何回も行けた。

通信制の大学に行くと決めたとき、親や周りの人からかなり難色を示された。まあ当たり前なんだけど。学校あんま行ってなかった仲間 の友人にさらっと「普通の道から外れる」と言われちょっと凹んだ。選挙の立ち会いのバイトで一緒になったおじいちゃんにもったいないと言われ、夢の中で小学校の同級生にももったいないと言われた。母には国公立の大学院に行くこと、それが条件だと言われた。

かなり反対されて、私も心配だったけど、通信制にしてよかったなあと思う。そりゃあ普通の大学と比べれば友達は1人もできないし、院に行かなきゃ就職はないし、普通じゃないしといった感じだけれど、それでも私が楽しいからそれでいいかなと思えている。こんな基準でものごとを、しかも人生のことを考えるなんて、以前の私では考えられないことだ。

楽観的になりすぎると破滅してしまうけど、まあギリギリのところまでは攻めていいんじゃないかと思ってしまう。まだ自我が芽生えて1年とちょっとだから危険な考えだと思うけど。

通学がないおかげで声優の養成所に通うなどという選択肢が他の大学生と比べてより現実的な案として浮かぶ。勢いのまま応募もしちゃえる。普通じゃなくなったから、普通じゃない選択肢が身近になる。

ヤバいかもしれない。私に、普通じゃないフィールドで飯を食っていくポテンシャルがなければただただ破滅の一途を辿るヤバい思考である。でも私はうぬぼれやの一面があるのでなんかいけるんじゃないかと思っているがいけなかったときヤバい。

話は変わるが大学お笑いなるものをこの前知って今最強に普通の大学行けばよかったと思っている。

軸ブレすぎ。
こんなんでいいのか、いいのか。ダメです。


ここまで書いて、やっぱりこの文章はおもんないと思う。私はなにか訊かれたとき、このようにマジの返答をしてしまい、おもしろふざけ回答があまりできない。これは芸人には向いていないのでは、と思う。でもなりたい。ネタをちょっと書いちゃったりして。カービィの漫才、ZAZYさんの漫才。

いやでも、おもしろいの基準は人それぞれだ。ここまでの文章のように、人の人生が詰まって内容のあるものを趣深いと似た意味でおもしろいと捉える人もいれば、知らんやつの自分語りに興味無い人もいる。なかなか難しい。
芸人さんでも、質問にそのままストレートに答える人もいれば、嘘々の実の全身おふざけ人間回答をする人もいる。正直私は芸人としては全身おふざけ人間の方がかっこいいと思う。川北さん(注1)とか国崎さんとか。そういう人のほんのたまに見えるマジ回答に心打たれるのだ。ちなみに国崎さんのマジ回答は見えたことがない。かっこいい。

(注1) でも私は川北さんの小道具だけはちょっとだけアンチ

でも、野澤さんの言葉が心に残っている。
確か、やる側は自分がおもしろいと思ったことをやっていい。見る側はおもしろいと思えるものが多ければ多いほどいい。みたいな感じのことをnoteで言っていた。
めちゃくちゃ好きだ、と思った。

野澤さんのnoteはほぼ全部マジ回答だ。
なのに本当に面白くて、熱くて、もっと読みたいと思う。思えば野澤さんのお笑いは全部マジ回答な気がする。今年のM-1決勝発表から見始めた奴が何言ってんだって感じだけど。おもしろいことを考えて言ってないという意味では決してない。
ただ、質問にはストレートに答えている。
あなたのおもしろいと思うことはなんですか?
という、芸人全てに課せられた質問に。
これは全身おふざけ人間にも通じることか。

とにかく、その質問になら私も心置きなくマジ回答できる。私の回答で人を楽しませたい。だから芸人になりたいと思う。

ただ、その回答には常に評価がつきまとう。これはお笑いというものがお客さんあってのものであるという性質をもつから仕方の無いことだ。
だから、評価されなかったときにどう思うかが、お笑い芸人適正のカギを握るのだと思う。

評価されなかったとき、そこで回答をやめずに、より伝わりやすい方法を模索することが芸人の役目なのかなと考える。そして、「自分がおもしろいと思う」ことと「見ている人がおもしろいと思える」ことを両立する伝え方を見つけられたときに最高の”評価”が生まれ、「売れ」が発生するのだろう。(まあたまにお客さん側が伝え方に従属する売れもあるが)

ふぅ…   お笑いを見始めてまだ1年くらいだが、考えたことはこんな感じだ。長々と偉そうなことを述べてきたが、まず一番は芸人がちょっとかっこよすぎるから憧れちゃってるということなのです。
でも、多分私に見えているかっこよすぎる人達というのは成功例でしかなく、その裏には夥しい数の、失敗を経験して辞めていった人がいるのだろうなと思うと少し怖くなりますね。私が芸人を志すとして、好きなタイプの相方ができるとは限らないし。もうこれは運でしかないし。でもそれでもその世界に足突っ込んでみたいと思っちゃうし。


今週の土曜日、声優の養成所の入所面接があります。まあ余程のことがない限り受かると思うんですが(私の応募したとこは一応声優養成所の中では審査が厳しい方らしい 本当?)、受からなかったらNSCに入っちゃいたいなと思います。もし声優の方に受かったら、通いながらバイトしてお金貯めて。(1年で卒業なんですけど)1年後に声優の方がやりたいなと思えばそのまま声優の道に進めばいいし、それでもやっぱり芸人になりたいなと思ったらNSCかJCAに入りたいと思います。(NSCかJCAでめっちゃ迷っています。もともと真空ジェシカさんが好きでJCAに入ろうと思っていましたがそもそもあの人たちはJCA出てないしだったら劇場のある吉本の方がとか色々めちゃくちゃ考えています) それで、芸人の養成所で芸人になりたくないと思えば、声優の方に戻るか、声優も嫌なら国公立の大学院を目指そうと思います。


うん。よくまとめられた。私は言語化がすごく苦手なのですが、文字ならなんとか頑張れます。

こんな誰も見てないnoteを長々と、しかもだいぶ前から公開しているのはわけがあります。
誰も見てないのにお気持ち表明する痛い奴ではありません。
いつか有名になったとき、このときこいつはこんなことを考えていたのかと。野乃の17、18、19歳のときの文章が読めるぞ!みたいな。そういうフリを今しているわけです。いつか絶対有名になって、このフリをちゃんとボケに昇華できるよう頑張ります。

それではだいぶ頭が痛いのでここで眠りたいと思います。最後までありがとうございました。おやすみなさい。

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