死体怖い

父方の祖母が死んだ。
死体って全く動かないんだと知った。
それが気持ち悪かった。

私は祖母のことが全く好きでは無かった。
し、むしろ殺したいと思っていた時期もあった。
今となってはなぜそこまで憎悪していたのか思い出せない。私は嫌なことは忘れるタイプだ。

祖母は認知症に罹っていた。途中から私のこともわからなくなっていた。孫である私に「実家に帰りたいからお金を貸してほしい」と言ってきたこともあった。

私は途中から、祖母を見ると虫を見たような気分になるようになっていった。大きな虫。見ただけで見たことを後悔するような。目を背けたくなるような。嫌になるような。

祖母はおかしな宗教をやっていた。それだけならまだ良いのだが、それを信じることを周囲に強要していた。早朝から私達の家に押しかけたり、物心がつく前の私を私の両親に内緒で宗教の集まりに連れて行ったり、小さな私にお経を聞かせたり。

私は小さな頃から賢かったし、キリスト教系の保育園に通っていたので、お経を上げたり祈ったりすることが普通では無いということに物心がついた頃から気付いていた。だからよかった。

両親は、まだ自分で選択のできない子供に宗教をやらせるなとブチ切れていた。だから祖母は両親のいない間に私に変なタスキと数珠を巻いて祈らせていた。ののちゃんが元気でいられますように。死ね。

祖父母の家に預けられて、父親が迎えに来たとき。帰り際、祖母が私を抱きしめた。いつもはそういうことをしない人だった。戸惑っていたら、耳元で囁かれた。「(父親)はバカだから、宗教をやるなって言うの。ののちゃんにはそうなってほしくないんだよ」

私が聞いた祖母の言葉の中で、一番心がこもっていた。孫を抱きしめて、心を込めて伝えたいことがそれかよ。

母親は祖母に嫌な思いをさせられた思い出をしきりに話す。母親にそんなつもりは無いんだろうが、きっと母親も祖母を好いてはいない。
小さな私にとって母親の感性は自分の感性だった。

しかし母親は性格が良いので、好きでは無い人間が死んでもしっかり悲しむことができる。

私は、できない。

前にも書いたけど、中学の時の部活の大嫌いだった顧問が死んだという連絡を受けた時、普通に喜んでしまった。喜んだというか、喜んだつもりはないし、周りに人がいて、人が死んではしゃいでいるところなんか見せてはいけないのに、顔が勝手に笑顔になって戻らなくなった。

祖母が死んで、今何も悲しくない。
本当に、何も無い。
悲しくないというか、何も思っていない。
何の感情も湧いていない。
人が死んだのに。

嫌いな人が死んだ時、悲しむ人とそうでない人、どちらが多いのだろうか。 
そして、どちらが正しいのだろうか。

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