要約 ハンス・ヨナス 『アウシュヴィッツ以後の神』

〇ディアスポラと記憶の民の苦難
〇アウシュヴィッツによる神概念のトリレンマ
〇「苦しみ生成し気づかう神」への気遣い
 
 ユダヤ教の民は幾度のディアスポラを経験しつつも、自ら選民として世界に正義を打ち立てるという義務感のもと、信仰―律法を保持してきた。そこで繰り返される苦難も、自らの信仰の試練であるとして、記憶の民としての意識を保ち続けてきたのである。しかし、アウシュヴィッツという端的な悪を通過し、神概念の再構築が求められる。理性的・システマティックに行われた暴力の記憶は、もはやライプニッツの最善観や、永遠回帰の強いニヒリズムさえ吹き飛ばす威力をもった。ヨナスは『アウシュヴィッツ以後の神』で神を再度考察する。従来のメシアニズムがもはや自立できなくなった今、「全能なる神」「最善世界の不可能性(アウシュヴィッツの正当化不可能性)」「神の善性」という3要素のすべてを肯定することができなくなった。ヨナスは「全能なる神」の想定を棄てることで神を再構築する。つまり、神は世界創造の際に自らの全能を棄ててしまったのである。創造後の世界においては、神は流転する世界と共に生成し、そこでなされる悪に人間と共に苦しみ、ただ世界と人類の進展と行為の帰結を気づかうほかない。我々に可能なのは、無力な神の気遣いに呼応してみずから神と人類を気づかうということのみである。ヨナスの哲学は、理性を鼓舞してきた近代哲学がアウシュヴィッツにおいて完全に終了してしまった、もしくは終了せねばならなくなった現代において、「何を思考してよいか」という倫理的な基盤を哲学的思索に与えるものであろう。ユダヤの民を前に、我々は無邪気なまま人間理性の可能性を追求することはゆるされない。

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