供儀

 神霊的・聖霊的存在に生贄を捧げることによって、神秘的生命力や事業の成功などを得ようとすること。生贄には人間や動植物が用いられる。流血が伴う場合とそうでない場合があり、仏教はそもそも殺生を禁じるゆえ供儀を認めない。供儀の起源には、超自然的存在者の好意を獲得するための贈与説、供儀者自身の死を代理させるという代置説、神と人間が犠牲の生き物を共食するという交融説などがある。いずれにせよ決定的な役割を果たすのは供儀において神霊と人間が交感する媒介となる動植物である。
 供儀儀礼が破壊を伴うのは、生贄の動植物の多くが神聖視されている事実から判断して、死が神秘的生命と直結するという思想があると判断できる。供儀の本質は「聖化」であるとするならば、人間は供儀において自らの実存を神秘的生命につなぎ、自己を聖化する手段を獲得するのである。供儀やそれに関連する自己犠牲の観念は、「死して甦る」ことが承認され、生と死が循環する世界観に支えられている。
 ほかにも、キリスト教の文脈ではイエスの受難のことを指したり、また道徳・倫理上の自己犠牲を指すこともある。

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