要約 カント『実践理性批判』

〇人間の両義性
〇実践理性の自己立法
〇理性の事実=実践理性の優位

 『純粋理性批判』において人間は現象界と叡智界をまたがる両義的存在として定義された。つまり現象界においては自然法則に従属しつつ、叡智界においては自己原因的な意志を持ちうるということである。本著においてはこの意志が考察され、前著で統制的理念にとどまっていた神・不死・自由が実践理性の優位において要請される。人間の意志とはある行為を法則に従って行うことであり、行為を法則から導出するという意味では実践理性とも言い換えられる。実践理性が道徳的、すなわち自由でありうるのは、欲求や幸福追求といった現象界の要因からではなく、むしろ自ら自己に課した道徳律にしたがうときのみである。道徳律の正当性・非現象性はそのアプリオリ性で確証され、すなわちアプリオリ性の表徴である普遍性が求められる。ここに、自己の意志行為が他者にも適用されうる形でなされねばならないという道徳律が立てられる。ただし、欲求存在である人間にとってこれは定言命法という形で理解される。律法への従属による自由において、人間は福徳一致という最高善をめざす。ただし、人間はその有限性ゆえにそれを自らのみで達成することはできない。ここに、神・魂の不死・自由という理念が要請され、これらは実践理性においてもはや構成的である。また、実践理性が理念を構成的にするという意味で「実践理性の優位」が与えられる。道徳律の存在は演繹されることなく、「理性の事実」として議論の出発点である。他方、実践理性とその理念はあくまで信仰の対象としてあらねばならない。これによって、人間はその自由と道徳を保証されることができるのである。

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