要約 フォイエルバッハ『キリスト教の本質』

〇人間が必然的にかかわる対象は、人間自身の本質のみである。もっともすぐれた対象たる神も、そうした人間的本質を超越者に投射したにすぎない。
〇神の愛は人間的愛情、神の賢明さは人間的悟性、神の実在は人間の実在である。
〇神の観念に保持されている人間の類的本質を、キリスト教は超越的実在に投げ渡してしまう。
〇それら類的本質を今一度、具体的感性的人間に回復し、宗教の本質を内在としての人間に定位させるべきである。
〇類的本質の回復はそのまま類すなわち共同性の回復であり、ここに調和的な人類のあり方が形成される。共同形成は最高の実践である。

 人間が本質的にかかわる対象は人間の本質のみである。そして、キリスト教の神も、実は人間の類的本質を理念化して超越の側にたてたものにすぎない。神の愛は人間の愛する能力であり、神の知恵は人間の悟性の極大化である。キリスト教は、人間の本質をこのように彼岸に渡すことで、此岸における人間のあり方を不当に貶めている。我々人間は今一度、その類的本質を自らのもとに取返し、宗教の本質を人間という内在に定位させるべきである。そうしたものを自覚することで、類としての人間の自覚が芽生え、調和的な共同体のあり方が可能となるだろう。共同形成こそが最高の宗教的実践だということになる。本著はラディカルな宗教批判でありながら、人類の調和を眼目とするものである。人間という内在にい続けようとする姿勢はニーチェのニヒリズムとも通じるところがあるだろう。

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