要約 シェリング『人間的自由の本質』

〇実存(自己自身であろうとして自己を拡張しようとする力)と根底(自己自身であろうとして現在の自己にとどまろうとする力
〇両力の統一が人格を生む
〇最高度に統一された存在が人間であり、両力の分離可能性、すなわち善と悪への自由をもつ。
〇根底としての我意が発揮され、統合を失った自己が悪である。
〇無底は生命としての神の始発点であり終着点である。神は神に「なろう」とすることで神「である」

 1801年に完成した同一哲学が汎神論であるという批判を受けてシェリングが新たな哲学へと移行しようとした時期に書いた著作。個別的存在者の自由の徴表である「悪」を主題としつつ、そうした自由な個体が神の絶対的同一性から生まれ出るシステムを描く。
 まず、根源存在が意欲であると規定される。そして、自然哲学期における「実在する限りでの存在者(実存)」「実在の根底である限りでの存在者」の区別を神に当てはめ、神が自己自身であろうとして自己拡張を図る力と自己自身として自己自身のみであろうとする力との結びつきが個別的存在者を産出すると説く。両力が最高度に発揮される地点において神は「人格」となる。絶対者が自己を人格として自己認識するところに、根源的意欲の全面的開花としての神が顕現する。神の根底から生まれ種々の段階にある存在者のうち、人間においてのみ両力が分離可能であり、我意の中心化によって悪は生まれる。人間的自由はこうして「善と悪への自由」と規定される。
 実存と根底が分化する以前の絶対的無差別が「無底」と言われる。実存と根底がここから分化し、愛として両者を統合しようとすること、神が無底そのものに安住しないこと、その理由は、神が生命だからである。神は人格として、この絶対的統一へ「向かう」ことで、絶対的統一「である」のだ。無底は意欲として、こうした動態をもつからこそ、生命としての神たりうる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?