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感想:大村智博士記念講演会 in 高岡 2017年2月25日

以下は約4年半前の2017年2月25日に富山県高岡市で開催された大村智博士記念講演会を聴講した際の感想をまとめた文章です(他のサービスで掲載していた記事の転載です)。


先週土曜日に高岡であった大村智博士記念講演会を聴きに行ってきました。大村智さんはアベルメクチンの発見、イベルメクチンの開発によって「2億人を病魔から守った化学者」(馬場錬成『大村智』中央公論新社 2012年)として、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞されていらっしゃいます。ノーベル賞受賞者のお話を聴くのは益川敏英さん以来、二度目です。

講演のタイトルは「未来を拓く学生達に向けて ―私のストックホルムへの道―」でした。

今回の講演に備え、以前買った大村智さんのご著書『自然が答えを持っている』(潮出版社 2016年)を予め読んでいたので、講演の内容の多くも既に存じていました。これも益川さんの時と同様です。しかし、やはり直接お話を伺うと、どこに力点が置かれているかがはっきりと分かるので、こういう機会は貴重です。翌朝の北日本新聞の記事でも報じられていたように、大村さんが最も力点を置いて語っておられたのは「実践躬行」という言葉でした。「実践躬行」とは「口だけでなく、実際に踏み行うことの大切さをいうこと」と、大村さんの著書の中で広辞苑から引用されておりましたが、講演では、自分自身がまず実践し、「自分が言ったら必ずやる」という姿を周りの人に見せることによって、「あの人がリーダーなら必ず成し遂げられる」と人が付いてくるようになる、と仰っておられました。そうして大きなことも実現することができる、というわけですね。この「実践躬行」という言葉をまさに「実践躬行」なさってきた大村さんだからこその説得力は凄いものでした。

講演後に大村さんに聴者からの質問に答えてもらう時間があると講演前のアナウンスで聞き、講演の間中も質問内容のことばかり考えておりました。益川さんの講演の時に当ててもらえなかった反省を踏まえ、今回は質問の時間が始まるや否や、いの一番に手を挙げ、当ててもらいました。しかし、大変なしどろもどろになってしまいました。普段ひきこもっている人間が、ノーベル賞受賞者を前にして、多くの公衆の面前で質問をぶつけるという状況に、ひどく緊張してしまい、質問が終わってから帰りの電車に乗っている間までお腹が重かったです。ひどくお腹を空かしているかような感覚でしたが、帰り道で買い食いしても治まりませんでした。おそらく極度の緊張で肝臓辺りの調子がおかしくなっていたのだと思います。

さて、そうまでして大村さんに質問したかったのは、何と言っても私の最大の関心事、『弘学(ぐがく)』についてでした。「『弘く学び、学を弘めること』、『弘学』に可能性はあるでしょうか?」という質問を大村さんにぶつけてみたのです。

私は、2年前から『弘学』を本格的に開始し、最近はやや派生して理論物理学の研究をまとめることもできました。しかし、まだ『これぞ弘学』『これは弘学者にしかできない』というような研究を成し遂げたわけではありません。もちろん、私の『弘学』計画は元より大器晩成を狙った超長期計画であり、1年や2年で成し遂げられる何かなら、そもそもやる意味がありません。とはいえ、すぐに結果が出るものではない、そして、成功例も失敗例もない、前例自体がない『弘学』を独り続けることには当然ながら常に不安があります。そこで、先見の明がある大人物と話す機会があるならば、ぜひ意見を聞いてみたいと考えたわけです。

大村さんは微生物に関する研究を最前線で実践していらっしゃる一方で、山梨県総合理工学研究機構の総長を務めておられたこともあり、また、山梨科学アカデミーの設立を提言、名誉会長も務めておられます。山梨県総合理工学研究機構の取り組みを調べましたところ、「県立試験研究機関の人的資源、設備、研究ノウハウの横断的連携のコーディネート」「産学官連携のコーディネート」「県立試験研究機関にまたがる横断的研究、産学官共同研究等の企画・進行管理」とあり、これは『弘学』に通じるのではないかという見立てがありました。また、大村さんは山梨科学アカデミーにおいて多くの分野の科学者と広く交流しておられるのではないかという予想もありました。そこで、『弘く学び、学を弘める』『弘学』の可能性を、大村さんならご理解頂けるのではないかと期待しておりました。本当は、以上に書いたような前置きを明快にご説明できれば良かったのですが、しどろもどろでおそらく大村さんにお伝えすることができなかったと思います。質問内容をまとめた原稿を用意しておくべきたったと反省しております。(以前私が執筆した『弘学』の原稿も一応会場に持って来てはいたのですが、やはりお渡しする機会はありませんでした。)

さて、私のしどろもどろの質問にも大村さんはお答えになってくれました。そのお答えは…、と言っても私自身、極度に緊張していたので、大村さんが何と答えてくださったのかしっかり把握できておりませんが、主旨としては、「広く学ぶのもいいが、何か自分の芯を持つことが必要」というようなご回答であったと記憶しています。

私としては残念でした。「ノーベル賞受賞者と言えども、所詮は通常科学者であって科学革命家ではない。科学者・専門家であって弘学者・無門家ではない。」というのが私の正直な感想です。「何か芯が必要」、私の師匠の樋口弘行先生も同じことを仰っておられました。少なくともその「芯」が「専門性」を意味する限り、『弘く学び、学を弘める』こと、『弘学』『無門』の理念を理解しておられないと断ぜざるを得ません。

『無門(むもん)』は、「専門」と対になる私の造語で、『専門を持たない、専門に囚われない、無数のことに意識を向ける』という意味を込め、特に学問を追究する『弘学』よりもさらに広い意味を持っている言葉です。専門家・科学者が「I」型だとすれば、私が提唱する無門家・弘学者は『一』型です。これらを両極として、その間には「T」型や「π」型など、様々な人材のバリエーションがあり得ます。現状では科学者・専門家が≪多様性≫を担っている一方、私が提唱する弘学者・無門家は≪関係性≫を担います。≪多様性≫を担う「科学者」「専門家」と、≪関係性≫を担う『弘学者』『無門家』、これらの多様な人間が存在し、関係し合い、協力し合うことによって、学問や社会が新たな段階へと発展することができる、というのが私の予想なのです。

しかし、現在の大学教育では「科学者」や「専門家」を育成するばかりで、『弘学者』や『無門家』、特に『一』型の人材の育成は行われておりません。アメリカではメジャー・マイナー制度などが普及しており、比較的、視野の広い人間を育てる仕組みが少しは整っていますが、日本はこの点に関しては明らかに後進国です。「I」型から『一』型まで、多様な人間を育てようというのが私の主張です。しかし、無門家・弘学者・『一』型人間を育成することの意義はまだまだ全く理解されていません。「芯を持つ」と仰る大村さんや樋口先生のような考え方、既成観念が一般常識として幅を利かせているわけです。

私は何も「科学者・専門家を育てなくていい」と主張しているわけではないのです。『弘学者・無門家も育てるべきだ』と提唱しているのです。しかし、大村さんも樋口先生も実質的には「半分(科学者・専門家)だけでいい」と仰るわけです。そして、彼らはその「半分(科学者・専門家)」側の人間なのです。人生の生き方に一つの正解というものはあり得ないはずです。自分の人生の生き方がうまくいったならそれは素晴らしいことですが、だからといって自分と違う人生の生き方を否定するのは狭量です。しかし、専門を極めた人間というのは往々にして、単に知識の範囲が狭いというだけでなく、人生の生き方、スタイルといったより高次な意味でも考えの幅が狭い人が多いようです。二重に狭いのです。

科学の歴史を綿密に紐解いたトーマス・クーンが洞察した科学の発展の二つの位相「通常科学」と『科学革命』のうち、歴史を知らない「通常科学者」は自身の100年にも満たない経験だけを基に「科学の歴史は連続的進歩であった」すなわち「通常科学」だけであるかのように錯覚しています。「通常科学者」は科学の「半分」しか知らないのに、それが「全て」だと錯覚し、科学教育の場において科学の歴史を捏造することすら許されています。(注:科学教育において科学の歴史を捏造して教えることは、科学の発展の為には必ずしも悪いことではないのです。)歴史を学ばない「通常科学者」は『もう半分』の科学の非連続的進歩、あるいは進化とも言うべき『科学革命』を知らないのです。

それと同様に、「科学者」や「専門家」はまだ学問や社会の「半分」しか知らないのに、それが「全て」だと錯覚しているのです。『もう半分』の『弘学』『無門』がもたらす未来の可能性にも目を向けよう、というのが私の意見です。『弘学』は「科学」と対になる新しい学問のスタイルであり、『弘学』の実現は『科学革命』ならぬ『学問革命』なのです。『弘学者』と『無門家』の出現は学問や社会を大きく変えることでしょう。というのも、≪多様性≫と≪関係性≫が合わさった時、集団は大きく進化すると考えられるからです。≪多様性≫を担うのが「科学者」「専門家」、≪関係性≫を担うのが『弘学者』『無門家』というわけです。したがって、私は「科学者」や「専門家」を排除せよと言っているわけではないのです。「科学者」「専門家」と『弘学者』『無門家』が協力すれば学問や社会が大きく発展するだろうと主張しているのです。そのためには大学教育で「科学者」「専門家」だけでなく『弘学者』『無門家』も育成する必要があるというのが私の意見です。

このように、私の意見の方が大村さんや樋口先生の意見よりも包括的なのです。だから私は、恩師である樋口先生であろうと、ノーベル賞受賞者の大村さんであろうと、自信を持って批判できるのです。「芯を持つことが必要」と仰る大村さんにも、それでも『弘く学ぶことにも価値があると僕は思います』と返せるのです。本当に緊張して震える声ではありましたが、若かりし頃の研究実績もない大学院生だった益川敏英さんがノーベル賞学者の湯川秀樹さんに議論を挑んだと本で読んだことを思い出しながら、大村さんご自身も偉い先生に「この経歴だったらあまり将来性がない」と言われたと父親から聞かされ奮起なさったように、私は自分の信念を断固として主張したわけです。『専門を持つまい、専門に囚われまい、無数のことに意識を向けよう』と常に心掛け、『弘く学び、学を弘める』を実践し続けることにも強い意志が必要です。ましてや前例もない中で取り組み続けるには確固たる信念が必要です。これはこれで一つの『芯(信)』とも言えましょう。

そもそも、『新しいことに挑戦する』のは「科学」者の鉄則です。そして、私の『弘学』は、『まだ誰もやっていない、新しいことに挑戦しよう』という考えを追究して得た研究戦略です。つまり『弘学』は「科学」の延長線上にあるのです。大村さんの時代には大村さんのスタイルが最前線だったのでしょうが、今の時代の最先端はここにあるのです。クーンのパラダイム論を日本に紹介した科学史の第一人者 中山茂は『パラダイムと科学革命の歴史』(講談社学術文庫 2013年、原題『歴史としての学問』(中央公論社 1974年))の中で「将来の発展を見通し、これからどのコースを選択しようかと真剣に探し求めている世代の鋭敏な嗅覚を尊重すべきである」「研究者としての人生コースを選んだばかりの人たちには、あと三、四十年の長い研究余生がある。五年、十年先だけを考えて整理にとりかかっている既成層とちがって、永い先まで学問の発展コースを見通さねばならない若い世代は、それだけパラダイムの選択に真剣であり、またそうあるべきである。また知的環境の充実に真剣であるべきである」(pp.216-217)と述べています。私も既成観念に囚われることなく、学問や社会の来たるべき将来を見据えた結果として、『弘学』の可能性を見出したのです。

『弘学者』『無門家』の出現が学問や社会に革命をもたらすと私が考えているのは次の理由からです。イノベーションについて、山口周は「イノベーションでは多様性が重要になる、とよく言われます。」とし、その理由として「異なるアイデアが出会うところにこそ新しいアイデアが生まれるから」という理由を挙げています(Arts & Science 「ダブルメジャーの薦め」)。ここから分かるのは、新しいアイデアが生まれイノベーションが起こるには二つの条件があるということです。一つは「異なるアイデアが存在すること」、そして、もう一つは『異なるアイデアが出会うこと』です。「異なるアイデア」をもたらすものはまさに≪多様性≫でしょう。一方で、異なるアイデアが存在していても、それらが『出会う』ことがなければ、新しいアイデアは生まれずイノベーションは起こらないでしょう。逆に考えると、異なるアイデアの『出会い』をもたらす≪関係性≫が構築されれば、新しいアイデアが生まれイノベーションが起こるでしょう。そして、≪多様≫な異なるアイデアを「専門分野」や「科学者」「専門家」が有しているとすれば、それらの異なるアイデアを出会わせ、≪関係≫付ける『弘学者』『無門家』が出現すれば、新しいアイデアがどんどん生まれ、イノベーションが加速すると考えられるのです。このようにして、≪関係性≫を担う『弘学者』『無門家』の出現は学問や社会に革命をもたらし、文明や文化を大きく発展させると予想されるのです。

一方、私が社会を観察していて最近、日に日に重大な問題だと考えるようになったことがあります。それは「科学者」や「専門家」と呼ばれる人たちの『バランス感覚』の欠如です。例えば、原子力の研究者や技術者のほとんどは、原子力に関して最も専門知識を持っているにも関わらず、原子力発電の問題点やデメリットを提示することをしません。一般的に考えてどのような科学技術にも問題点やデメリットは存在するはずなのですが、原子力発電を専門とする人たちは原子力発電の問題点やデメリットを指摘しません。「しない」というよりも「できない」と言った方が正しいのでしょう。専門家にとって自らの専門分野を批判することは自分自身を非難することに等しく、近視眼的には自分自身に不利益をもたらすようにさえ思えるだろうからです。そして、これは原子力発電の研究者・技術者に限った問題ではないのです。例えば、燃料電池車は果たして他の、例えば電気自動車よりも優れているのだろうか、という問いを立てることができます。燃料電池車が電気自動車より優れているなら燃料電池車を普及すべきあって、電気自動車の普及を推進するのは間違いです。一方、逆に燃料電池車が劣っているならば、燃料電池車の普及を推進するのは間違いでしょう。どちらが正しいのか今の私には判断できませんが、私が懸念しているのは、燃料電池車や電気自動車の研究開発を行っている科学者や技術者、企業等(注:これらを推進している集団は重なる部分はあるにせよ一致しているわけではありません)は自分たちの側に不利益をもたらすことになるかもしれない判断を下せるのだろうか、ということです。自分たちのこれまでの努力を無に帰すかもしれない判断を下すことが彼らにできるのでしょうか。一般化して言うと、「科学者」や「専門家」は、まさに専門分野に深く根を下ろしているが故に、専門に囚われ、人々にとって最善の判断を下せなくなる危険性があるのではないか。これが「科学者」や「専門家」と呼ばれる人たちの『バランス感覚』の欠如の問題です。さらに加えますと、このような判断には幅広い観点からの評価が必要ですが、「科学者」や「専門家」はこのような『広い見識』を持ち合わせていません。そして、このように「科学者」や「専門家」が専門に囚われて『バランス感覚』を欠如し『広い見識』も持たず最善の判断を下せないとすれば、彼らに代わって判断を下すべきは、判断に必要な『広い見識』を持ち、専門に囚われず、したがって『バランス感覚』を保持している『弘学者』『無門家』に他ならないのではないか、と考えられるのです。『広い見識』と『バランス感覚』を有する『弘学者』『無門家』が社会に必要なのです。

さらに、より社会に密接に関わる政治に目を向けてみますと、折しも、イギリスがEUからの離脱を選択し、アメリカではトランプ大統領が誕生し、世界は大きな変動の中にあります。これらは、これまでのグローバリズムの推進によって≪多様性≫の尊重が行き過ぎ、国民の統合が失われ、個人が分断されてきたことからの揺り戻しです。しかし、ナショナリズムへの反動によって世界が国毎に分断されるだけなら歴史の繰り返しであり、緊張関係が限界に達して第三次世界大戦が起こってしまうと繰り返す歴史すらなくなってしまう危険性があります。このような時代を創る新しいパラダイムもまた≪関係性≫です。分断されてしまった≪多様≫な人々を結び付ける、≪関係≫の担い手もまた社会は必要としているのです。

このように、来たるべき学問革命と社会変革の時期が一致しています。これは偶然の一致でしょうか。きっと違うでしょう。学問は社会の中で育ち、社会は学問の力で発展します。したがって学問と社会が連動するのは必然なのです。学問集団であれ、人類社会であれ、集団の中の≪多様性≫が行き着く所まで行き着いた先に≪関係性≫の機運が芽生えてくるのは必然なのです。

大村さんは『21世紀は心を大事にする時代にしなければならない』と重ねて仰っています。『心』を大事にするとは、『人と人との関係』を大事にするということ、大村さんのお言葉をお借りすれば、『ご縁』を大事にすることに他なりません。これも時代の大きな流れを掴まれた上でのご発言だと思います。その『人と人との関係』を大事にするという大きな流れの中の一つとして、『弘学者』『無門家』もまた、専門分野と専門分野、科学者と科学者、専門家と専門家、そして分断されてしまった人々を繋ぐ役割を担う存在となるのです。『弘学者』『無門家』は最終的には『人と人とを結び合わせる』ために存在するのです。

とはいえ、私も自ら弘学研究の先例を作ることに意識を向け過ぎて、弘学教育の実現に向けた普及啓発を怠っていました。今後は『弘学』『無門』の普及啓発にも力を注いでいきたいです。

しどろもどろの質問、平行線の主張、私と大村さんとの出会いはあまり好い出会い方ではなかったかもしれません。しかし、伝記や著書でご経歴やお考えを知り、そして実際にお話を聴いて、大村さんはやはり偉大な人なのだと実感しました。『命』を守り、『心』を大事に、『人』を育て、『夢』を掲げ、『知』を究め、『愛』に溢れ、『真』『善』『美』を追求する。これらは一つ二つだけでも成し遂げられれば素晴らしいと言えるものであり、これら全てを実現している人はなかなかいないと思います。しかし、大村さんはこれらの全てを実現していらっしゃると言っても過言ではありません。大村さんは学問的広さというよりも人間的広さという意味で、遥か高みの雲の上、私の理想とする人間像を体現していらっしゃる方だと思いました。

かつて私は創薬研究を志しましたが、大村さんとは逆に元々の手先の不器用さに統合失調症の認知機能障害が重なったためか段取り力や状況判断が鈍く実験が苦手で、なかなか化学科の必修の実験の単位が取れず、学部3年生を三度経験しました。ようやく進級して念願の合成有機化学研究室に配属されましたが、研究室での高度な実験を目の当たりにして自分にはとても無理だと痛感し、理論系への転向を決意しました。それと同時に、なかなか進級できなかった頃、周りの学生たちがどんどん専門の道に進んでいくのを見て焦り、逆境の中で悩み考えた末に「彼らとは逆に『専門を持たない』ことを自分の強みにしよう」という逆転の発想で得ていた『弘学』を実行に移すことにしました。そうして、自然科学を独学で弘く学びつつ、着想したアイデアを理論研究として形にしていくという現在のスタイルに至っています。創薬研究も諦めたわけではありませんが、私は大村さんとは大きく違います。

実験家と理論家、科学者と弘学者、指導者と独り者、強者と弱者。大村さんは多くの面で私と対極にある人であり、「実践躬行」も含め大村さんの教えを私が直接参考にすることはほぼできないでしょう。しかし、私にとって様々な学問のスタイルや人生哲学を学んでおくことは、将来、弘学教育を実践していく上で大切なことです。なぜなら、弘学教育の肝は、多様な人材を生み出し、関係付けることにあるからです。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」、正解は一つではなく、その人その人に合った育て方が必要であり、私自身には役に立たないスタイルや人生訓も、私の将来の教え子にとっては有益となるかもしれないのです。自分自身をよく理解し活かしていくことも含め、自分と対極にある大村さんから教わることはむしろ多いのです。そして、大村さんの人間的広さ、『心』には、私も憧れ、励まされ、勇気付けられます。私にとって大村さんは「こういう『人間』になりたい」という大きく具体的な目標です。

大村智さんとのこの一期一会に感謝し、私も今後も夢に挑戦して生きていきたいと思います。いつかまた大村さんとお会いするご縁がありましたら、次こそは『弘学』の意義を堂々と語らせて頂きたいと思います。できれば今度は『弘学』の実績も踏まえて。