土曜の夜と日曜の朝
アラン・シリトー「土曜の夜と日曜の朝」と言う小説がある。
そして、この作品は映画にもなったようだ。
1週間働いてようやく迎えた週末の貴重な時間。
それが土曜の夜と日曜の朝。
一つの夜と、一つの朝、その時間帯だけが、自分の本当の時間。
切ない気持になる。
今も程度の差こそあれ、みんな同じかも知れません。
みんな仕事が好きでやってるわけではない。
仕方なくやってる。
ほんとはしたいことがあるけど、心の奥底に閉まっている。
でも、みんながそうだから当たり前になっている。
そうかも知れない。
でも、本当は違う。
みんなそう感じながら毎日を生きている。
矛盾を抱えて生きていることはどんな時代にも同じことなのか。
ふと、そう思う。
ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」と言う有名な小説があります。
その中にこんなセリフがあります。
「自分のしたいことをするのが、何故こんなに難しいのだろう」
まさにその通りですね。
この世界で生きるのにはただ純粋であればいいのではない。
むしろ、打算ができないと生きていけない。
自分の純粋さを押し殺して、打算的に生きなければならない。
そこに矛盾が発生し、悩みが生まれる。
現在の世界の構造がもともとそうなっているのか、そうした社会で生きることはなかなか難しい。
でも、この難しさを経験しなければその先の「生き方」は見えてこないのかも知れない。
打算で生きるのは何も考えなくてすむので簡単かも知れない。
でも、持っている純粋さを100%消し去ることはできない。
本当に人間って不思議な生き物です。
矛盾を抱えた生き物なんて他にはありません。
不思議ですね。
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