悲劇。それと、報酬系の経済と期待効用仮説

(休憩中。編集途中。)

悲しみがふかい。
得られぬ悲しみ、求不得苦(ぐふとっく)。

悲しくなるなら、何も期待せず、何も望まずに生きながらえようか。どうせ得られるかどうかわからないなら、そこに拘ってどうするのだろう。

何も求めず。高みを目指さず。
身の程で程ほどに生きるってのが賢さというものよ。

そうやって、嫌いな自分を騙す。
そうやって、嫌いな自分を騙してきたのに。

なんで、わたしに声をかけたんだ。
どうして、心から手が出る程の景色を見せたのだ。
どうせ、願ってもできないのに。どうせ、どうせ。

こんな思いをするなら、始めから、望まなければよかった。出会わなければよかった。

どうして、どうして、、

  ◇  ◇  ◇

......ふぁ!?

左脚がビリビリする!
血液よ身体をめぐれ、さぁはやく!と念をこめて左の腿を揉みほぐす。

そうか、動画配信みながら寝落ちしてたのか。夜更かしはよくないな。

しかし、変な夢だわさ。
カナシミィ!!カナシミィ!!って、悲しみかぁ、

ときたま、悲しみが深くなることはある。
人間だもの。期待もするし、望みもする。

とはいえ、心に嘘はついたりしない。
大抵のことは何でもできるから、できないものは本当にできない領域にあるのだなと割りきれる程度には頑張れる能力はあるとは思っているので、頑張るし、着地点も拵える。

自分が好きとか嫌いもないし、淡々とやりゃあいいじゃん。それは、やれないのでなく、やらないだけ。と自分に向けては思っている。

動けば、誰だってお花屋さんにもなれる。

なれない理由はない。しかし、二重の意味で望まない。考えにもあがらないし、なれるとしてもなりたくない。だけど、お花屋さんになることが、自分が望むものへたどりつく唯一解の経路になっていたなんてこともあるかもしれないのに。

  ◇  ◇  ◇

人にはやさしく、自分にはもっとやさしくをモットーに生きる。

何でもできるからといって、何でもしてしまうと、何でもはできなくなってしまう。
だから、何でもはしないようにという心掛けが肝要である。

誰かが悲しんでいるときに力になってあげられないのが、一番悲しいことなのだから。

  ◇  ◇  ◇

そんな矢先、悲しみが深まる事件が起きた。

鬼滅の刃の煉獄さんの一件だ。

なんてことはない。
ローソンで予約販売を鬼滅の刃の弁当を、店頭に置かれた大量のチラシをみて申し込んでみたのだ。



しかし、これは誰も悪くはない。単なる悲劇だ。

だが、この世には吐き気を催す本当の邪悪というものが存在すると思う。

特に、コンビニの小売り業界や、携帯電話会社の通信関係なんかは、とにかく心象が悪い。


悲しみに対して、埋め合わせの何かがある。
埋め合わせをもらって、その相手には、済まなさ、申し訳なさの罪の通貨がわたる。

そして、他の手段で埋め合わせをする。
折り合いをつけるのだ。

邪悪とは、他人を犠牲にしてまで自分の欲を満たす輩のことである。吐き気を催す邪悪だ。

ストレス保存則とよんでいる原理原則がある。
その昔、とある少年が考え出した、自己防衛の妄想だが、妄想なりに使い勝手はよい。信じたいものを信じればよい。

同様に、この負の通貨は、保存され伝播していく。

この通貨を消すのは、ひとつは、赦し、やさしさであろう。
負の債務を負う。

だから、税金のごとく、国策で感情通貨をつぶそう。

かつて、人々の闇を一身に引き受けた神童がいた。希望や羨望を一身に引き受けた光の神があった一方、神童はやがて、邪神に身を窶(やつ)し、悪魔達の神となった。

別の世界線の戯れ言だ。

邪悪を潰すために、具体の計画をモックしてみたこともあった。

政治家は素知らぬ顔で繰り返す。
大企業は複雑な迷路で濁し騙す。

開発経済学のセルフターゲティングの理論は、闇の技術として悪用すれば幸福を呼ぶツボを売り続けられるシステムとなるし、ちゃんと光の技術として有効活用すれば古来日本の御札システムとなる。

数々の報酬系の外部不経済。
やったもんがちのヒットアンドアウェイ。あるいは、一方的な遠距離攻撃。

逃げるな!正々堂々とたたかえ!と誰もが思う。


認知ノイズという大きすぎる巨人に、シンプルに射通す一筋の光。

神経経済学と、功罪通貨システム。

負債があるなら、埋め合わせをすればよい。
負債を抱えきれないなら、倒産すればよい。

人々の善意が、もう同じ悲劇を味あわせたくないと正義を願うその心が、避けられたであろう悲劇を無くすと信じていた。

ゲーム理論を突き詰めると、世界は皆でひとつに協力しあえば最高の未来へといつまでも進んでいけることを示してくれる反面、裏切りの誘惑は強く、しかし、誘惑に乗った途端に世界は疑心暗鬼が蔓延る荒れ地と化すことを教えてくれる。

世界にうちひしがれ、こんな世界に復讐を、反逆を、と誓い、潰された未来の仇討ち、そしてこれから生まれる未来のために、己を捧げてきた。

だけど、悪いのはこの世界ではない。悪いのは誰でもない。悪の波動のせいなのだ。悪の波動にうんざりしている世界を、我々で救うのだ。

燃えるような使命感を胸に、一週間程で夢中で理論の骨組みを作り上げた。

しかし、早すぎた。

完全に安全なもの、なんてものは世の中にほとんど存在しない。新しく産み出される目映いばかりの技術たち。

蒸気機関、自動車、核分裂反応、ナッジ理論。

起こりうる恐ろしい事故、想定される悲劇的状況を完全に否定しきれるものなど皆無だ。

しかし、だから仕方ないといって、手放しでこの世に解き放つことができようか。

そのようなものは、この世にいくらでもあろう。
開けてはならないパンドラの箱。全てが飛び出した後に残ったのが「希望」とは、よくできた話である。希望だけでは何も悲劇は解決はしない。希望を糧に、なんどでも、何度うちひしがれようとも立ち向かうしかない。そんな泥臭い苦行を子どもたちに課すなど、そんな選択を私はできない。

数学のミレニアム懸賞問題のうち、未解決問題のひとつにリーマン予想というものがある。この未解決問題に対してよく言われるジョークのひとつに、「本当はとっくに解決されているけれど、解決してしまうと世界中の暗号が解かれてしまい社会的秩序が乱れてしまうから公開しないだけだ。」というものがある。
量子コンピューターなんかも、きっとその類いだろう。
程度は違うが、Quizologyの破壊的イノベーションとなったアンゴルモアの三大論文も、あれも、理論事態ははるか前から発見されていたものであり、ちょうど、その問題に向き合う準備や覚悟が整ったのが、恐怖の大王が過ぎ去った1999年の7の月だったそうだ。

しかし、私や機関が出そうが出さまいが、時代は進む。ゆったりと、いずれ追い付く。

だから、先に気がついた者の責務とは、時代が追い付き問題となった時に、打てる手をあらかじめ用意しておくことなのだろう。そして、信頼できる、共に歩める仲間を増やしていくことなのだろう。

そう思い、今日も、こつこつ頑張る。
今日もどこかで、フェニックスが誰かの心に宿ることを信じて。

(終)

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