右腕を失い記憶喪失する魔王のはなし(編集途中)

「漸(やっ)と来たか。愚かで、矮小な、人の子よ!」

低い声が、ゆったりと魔王城に響きわたり、大広間を揺らす。

台座に腰掛けた身の丈4メートルはあろう巨躯は、舐めつけるようにこちらを見下ろし、にやついた顔に頬杖をついている。

先の大戦で失われた右腕はマントで覆い隠され、頬杖をついている左手のその指には、髑髏を型どった趣味の悪い宝石があやしく輝いている。

「お前達の旅はここで終わりだ。我が力の大半は失われたが、わしには優秀な右腕が残っておる。」

頬杖をとき、パチン、と隻腕で指をならす。

静寂。

コツ、コツ、コツと、台座の後ろから、石畳を踏み鳴らす音が響き、影が伸び、大きくなる。

次第に影は人の形を成し、魔王の傍らに小さくかしづく。

「ふん。右腕、わしが誰だか言ってみろ。」

低い声が、得意気に影の主に向けられる。

「申し上げます。(右腕による、詳細な説明。)」

「兄さん!」

「そうだ。王国最強の騎士であったお前の兄を、この指輪の力で支配し、失くなったわたしの右腕の代わりとして使ってやったのだ。」

「兄さんを斬ることなんてできない。どうすれば!?」

「つまり、お前たちは絶対に勝つことができないのだ。フハハハ!!」

  ◇  ◇  ◇

人間の心というのは、どこに宿るのだろうか。
最近の科学では、記憶を司る脳にあるといわれたりもする。

ともすれば、記憶は心であろうか。
すなわち、記憶はその人の心が織り成した時の流れ、人生そのものなのであろうか。

どのような天才にも凡人と平等に与えられるもの、それは時間である。時の流れは、誰であっても同じだ。

……などと言われるが、昨今、どうだろう?

人生とは時間であり、時間とは記憶ではなかろうか。

楽しいときは、生きてきた証として、たしかに記憶に残る。そのときに、そこで過ごした一時を思い返すことができたなら、確かに自分はその分だけ生きていたことを確認できる。

しかしながら、記憶とは、高レベルの意識(認知機能)が作り出すものであり、その意味では、記憶とは、意識を左右する環境により形作られる部分が大きいといえよう。

金持ちも貧乏人も、快活明朗な人物も痛みに耐え続ける病人も、物理的に同じ時間が流れている。その点では、時間は平等に与えられる。

しかし、意識高い系でいるためには、スタバに行ってオリジナルタンブラーにフラペチーノを注文し、マッキントッシュでキーボードを叩きYahoo!株価をチェックしなければならない。

平等に与えられるべきものがあったとして、それを得るための手段が平等ではない場合、それは公平と言えるのだろうか。

橋の下で休んではいけないというルールは、一見、貴族にも平民にも平等に課されるルールのようにみえる。しかし、車をもつことができない者にだけ制約が課される片差別となる。

きっと、辛く悲しい代わり映えのない楽しくない人生は、そうでない人生よりも遥かに短いのではないか。

  ◇  ◇  ◇

「今はググればいいから、もう物事を覚える必要はない。」

そんな言説があるが、いかがなものか。

もし、外部知識の普遍化が進み、森羅万象にアクセスできるようになったとして、物事を記憶(記銘)することは無価値になるのだろうか。

競技クイズでという話なら、Quizologyの正解率算出モデルでいうところの、「接触」と「記銘」の欠損係数が1.00になったものを考えると自ずと回答が導かれる。
他の要素である「復元」や「戦略」、創造的「推測」の点で競技を楽しむ余地が、十分にあろう。もちろん、知る楽しみからの競技クイズ以外の部分からの観点も見落としてはならない。

ググり方をわかればよい。が、ググるには知識が必要だ。そして、その知識を特に、感性知識や知能知識と呼ぶのだろう。先の言説にあえて乗っかるとするならば、感性知識や知能知識といった「地頭力(かなり誤解されて使われているが、、)」が必要なクイズの在り方を示すことはできるだろう。データを扱うアプリケーションは、自らのハードディスクに保存しておかねば使えない。

しかし、最近はそんなこともなく、アプリケーションでさえもクラウド上の仮想空間で使う分だけ使えるサービスがあったりもする。この比喩どおりになるならば、これから過程を飛び越えて課題を解決してくれる仕組みが増えていくだろう。困ったときに、何が困ったのかを理解しなくても、仕組みがなんとかしてくれる。

どこかで、記憶は脳だけではなく、心臓にも宿っているという話を目にした記憶がある。どこだったろうか。はて。

どういった理屈で心臓にも記憶が宿るのかは覚えていない。たしか、記事の続きを読むために、有料の会員登録が必要だったのか、そんな事情で、その後の展開を見ていなかったのだと思う。

どういう仕組みか、憶測で物をいってみるとするならば、脳以外の人間の身体の部位も外部ハードディスクだということではなかろうか?

ドラえもんで、入れたものの進化を早めるタイム風呂敷みたいなひみつ道具があった気がする。なかに黒電話を入れたら、どんどん進化をしていって、ただの白い球体になったという話だったか。

もっというと、人間社会という外部環境も外付けハードディスクみたいなものではなかろうかと思う。

  ◇  ◇  ◇

記憶は外部に宿る。失った記憶媒体にアクセスできない痛み。失ったものをあるように見えてしまうファントムペイン。求めても応じない、その虚しさがいたい。

「……兄さんがよんでいる」

「何言ってんの!操られてんのよ!」

「いや、よんでいるんだ。兄さん!」

記憶は外部に宿る。他者、思いでのこの場所。懐かしい匂い。

(中略)

「右腕!わしが誰だか、言ってみろ!」

しかし、求めのキューに応じる右腕は既にいない。

「わしは、わしは一体、何者なんだ!?うごごごご!!」

「教えて差し上げます。(かっこいいセリフ)」



バックアップって、大事ね(*´ー`*)(終)

もしこの雑文が良かったなと、役に立ったなと、他の人にもおすすめしたいなと思ってくれた人は、高評価・コメントをしてくれると非常にうれしいです。最後まで見てくださり本当にありがとうございます。では、次の雑文でお会いしましょう。ノシ