ゲームシステムとシナリオの合致

ゲームはプレイヤーが操作する、その為に時にシナリオとプレイが不一致になる場合がある。

有名なところではGTA4の主人公は【戦争での凄絶な体験からアメリカに住む従兄弟の元に平穏を求めて尋ねるも面倒事に次々にと巻き込まれる】と言うシナリオに対し【プレイヤーは平気で車で人を撥ねては警察と銃撃戦をして盛り上がる】のだ、これを専門用語で【Ludonarrative Dissonance】と呼ぶのだが今回は良いだろう。

またかよ、と思うかもしれないが今回もDOD1の話だ。

このゲームは非常にシナリオとゲーム側の合致に優れていたので是非紹介したいのだ。

まずこのゲームのジャンルは無双型のアクションである、そして主人公は死んだ敵兵の死体を何度も刺突したり、助けを求める民間人を蹴り飛ばしつつも彼の集落に脚を向けて行く姿を相棒から『助けに行くのか殺しに行くのかどっちなのか』と問われるレベルの殺戮者だ。

そしてこのゲームの戦闘場面の他の無双系と異なる部分として言えるのは
1:アイテムの出現条件がコンボ数依存
2:ダメージを受けてもコンボが解除されない
3:死体を斬り付けてもコンボ数が伸び続ける
4:目視より索敵範囲が狭い上に敵以外には何も、地形や東西南北すら映さないレーダー
が大きいだろう。

これはつまり、
【前に出て殺す事しか考えていない”主人公のメンタリティ”】そのものである。
彼には【敵しか映っていないし斬り付けられても相手が息絶えても気にもしない】のだ。

そしてゲームの側はそれをシステムに落とし込んで、ガンガン攻めるプレイヤーが偉いって仕様にしているのである、ゲーム的な行動と主人公心理の合致である。

結果として画面の前でコントローラーを握るプレイヤーと復讐の殺戮王子カイムとのシンクロは非常に深くなった。

これは優れたゲーム的表現である、この様な優れた仕組みは物語への没入感を深め、ゲーム文化の魅力であるプレイヤーの参加意識にも繋がっている。

これを良きゲームの一例として今回はお別れだ。

長いお付き合いをありがとうございました

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