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どうして「スター」にときめくの?

(紹介書籍)リチャード・ダイアー、訳者浅見克彦(2006)『映画スターの<リアリティ>拡散する「自己」』青弓社.

 映画の世界にはたくさんの「スター」と呼ばれる演技者たちがいる。観衆からすれば「スター」はとても美しく、きらびやかで憧れる存在である。実際、あるスターのファッションや髪型が注目され、真似るという社会現象は今まで何度もあった。
 「スター」はハリウッドのスター・システムというビジネス目的で生まれ、マス・メディアを巧みに利用し、特定の「スター」に対するイメージを観衆に植え付けていた(第2章生産:消費)。そして、「スター」が演じるキャラクターは社会的類型に沿って作られていった(第7章スターとキャラクター)。
 著者であるリチャード・ダイアーが「スター」について論じる前、観客はスターにあこがれ、同一化を目指す「スター崇拝」のみの側面で語られてきた(解題自己のイドラ「スターに投影される夢」)。このような「スター崇拝」を認めつつも、著者は今まで語られることのなかった受け手の文化的感性や行動選択の戦略という視点を重視し、新たな「スター論」を述べた(解題自己のイドラ「同一化の能動的な戦略/複数イメージの使い分け」)。
著者はこの世界を実は大きな舞台のようなもので、社会という脚本のもとそれぞれの役割を演じているのだという。(第3章イデオロギー「劇としての生」)それを多くの人に分かりやすくパフォーマンスとして表現したのが他ならぬ「スター」だ。観衆は「スター」がキャラクターを構築し、演じ、キャラクターとして存在しているところに興味を持ったのだ(第3章イデオロギー「劇としての生」)。むろん、「スター」もキャラクターと同じように虚像であることに違いはない。ただ、「スター」はキャラクターとは違い人間として実在するのである(第3章イデオロギー「スターVSキャラクター」)。このことは「スター」を悩ませる種でもあるのだが。
 ここでは観衆とスターの関係について述べている部分を持ち出した。著書はこれだけでなく、キャラクターとスターの関係性(第3部 記号としてのスター)やスターの類型(第2部 イメージとしてのスター)など具体的なハリウッドスターやその出演作を用いながら述べている。少し難しいと感じるかもしれないが、「スター」について多角的に考えられる本であり、この分野に興味を持てるかもしれない。
(I.K)

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