記憶に巣食う虫

10代の頃、一回り以上も年上の人たちとよく遊んでいた。
はじめてオフ会に参加して出会った人から、たくさんの出会いがあった。

彼女らは仲間の年齢や性別といったものを全く気にしておらず、いつも楽しそうだった。
一方で自分は、お姉様方と若い自分が一緒に遊んでいる状況にとても満足していた。今でこそ思うが、自分は彼女らとは真逆で、恥ずかしい限りだ。
当時、自分には女友達というものが一人もおらず、できたと思ったら年上。まるで飛び級したような気分だったのだ。

ある時、覚えたてのお酒を彼女らと飲んでいた時に一人が言った。
彼女はオフ会で知り合った人の親友で、自分とは18歳も離れていた。

「生きていようがさ、死んでる人っている。自分の人生にいらない人、退場してほしい人。その人がどこかで元気にしてても、関わりたくないって思った時点で、その人は私の中で死んだことになってる」

めちゃくちゃ衝撃を受けた。
なにぶん、人からの影響を受けやすい性格だったから、この話はとても心に残っているのだ。

どれだけ影響を受けやすいかといえば、いくつか例がある。
道でタバコを吸っていて、ポイ捨てした。それを休憩中だった建設関係の人たちに注意されたことがある。
「おい少年。落としちゃいけないもんを落としたぞ」
反抗期だったので、うぜーなと思いながらもすみませんと言って、拾った。
それを離れたところでまた捨てるのは卑怯な気がして、結局家まで持って帰った。以来、ポイ捨てはしていない。

他には、個人のカラオケ店の前で悪友とたむろっていたら、店主が出てきて店にひきづり込まれた。
慣れないタバコを吸っていて、店の前を唾だらけにしていたからだ。
「警察呼ぶのと親呼ぶの、どっちか選べ」
自分も悪友もなんちゃってヤンキーだったので、警察も親もどっちも嫌だった。
すると店主は、一つ提案してきた。
「おめーら一発づつぶん殴る。それで勘弁してやる」
突如現れた暴力。一瞬身が竦んだが、それがいいということになった。
「歯ぁ食い縛れ」
本当にこんなこと言う人がいるのか! と内心笑っていたと思う。
店を出て、頬をすりすりした。悪友を見ると、同じことをしていた。
不思議なことに、痛みはすぐになくなった。

彼らは生きている。
死んでいるかもしれないが、彼らの人柄や精神。そうしたものが自分の中にある。
建った家を見た時、サイゼリヤになってしまった場所を通った時、それは蘇る。

反対に、死んだ人。
死んだはずの人。
死んでいい人。
いらなくて、関わりたくなくて、自分の人生から退場してほしい人。
困ったことに、彼もまた生きている。

彼は、自分がはじめてバイトではない職に就いた時、先輩となって面倒を見てくれた人だ。
当時は自分のキャラクターを楽しんでくれて、いい友人でいられた。プライベートでもたくさん遊んだ。

時を経て、互いに違う仕事をしていた時に電話がかかってきた。
「暇してんなら俺のいる会社こいよ」
すぐにそうした。バイトを転々としていたので、電話をもらった日にバイト先に辞めることを話した。

思えばこの電話は久しぶりだった。1、2年くらい交遊がなく、突然だった。
また久しぶりに一緒に仕事ができる。過去を思い出して、笑顔になった。

しかし、久しぶりに会った彼は別人だった。
口を開けば仕事の話。しかも愚痴などではなく、考え方やビジョンといった、組織、仕事に対する彼の理念を聞かされた。

これには辟易した。あなたそんな人でしたっけ?という感じだ。
これが毎日続いた。さらに、夜中の3時とかに平気で電話がかかってくる。
出ると、自分がどれだけダメか、なぜそんなにダメなのか、どうしたいのかと延々問われた。

主体性を持っていなかった自分は、受け入れるしかなかった。先輩が言うならそうなんだろう、と全て受け入れた。
同時に、いつかあの面白かった先輩に戻る日が来る。そう思ってやり過ごそうとしていた。だがその日は来なかった。

再会してから、最低でも4年は一緒に働いた。
その4年間は、地獄そのものだった。
SNSは監視され、同僚とゲームの話をしていると怒られ、夜中には電話。
自分のプライベートな時間などほとんどなく、生活には常に彼が付いて回った。

自殺しようとすら思ったことがある。
彼に事務所のベランダで泣かされ、一人残された。
当時の事務所はビルの5階。自殺しようとしたというより、正確には、ちょっと柵を越えてみようかなという動機があった。
柵を手で掴んだ後に、自分が死ねば彼もやりすぎたと反省するはずだ、と思った。

しかし思いとどまった。
自分は既に結婚していて、子供もいた。
自分が死ぬことで、彼女らの生活が苦しくなると思ったからだ。

それからは、はじめてメンタルクリニックに行った。
ワイパックスという薬を処方してもらって、これがすごい効き目だった。
簡単に言うと、ドキドキしない。
あまりにもすごいので、クライアントが大勢いる会議でも楽勝だなと余裕が出たほどだ。


再開して5、6年目の正月。彼に電話をした。
彼は一緒に働いていた職場を退職し、別の所から自分の職場に仕事を振ってくれていた。

もう自分と関わらないでほしい。今までのことは感謝しているが、とてもじゃないけど着いていけない。

自分はかなり抑圧的な人間だと思う。
友達と殴り合いの喧嘩に発展しても、楽しく遊んでいた頃の記憶が蘇ってきて、殴れない。
性善説に偏った人格も関係しているかもしれない。
皆んなは正常で、清らかで、何かあっても自分だけがそこに到達していない所為だと思う。
だから人を責めれない。他責できない。それを美徳にすら感じていた。

でも、言わなければならなかった。
このままでは、自分が保てないところまで来ていた。

シミュレーションはしていた。
自分が言ったことに対して、彼がなんと言ってくるか考えていた。
「ごめん。そんなにきつかった?」「ちょっと考え直すから、待っててよ」

しかし彼の言葉は、ニュアンスが異なった。
「お前それさ、もったいなくない?」
意味がわからなかった。
こっちは考えて、死ぬほど考えて、言うか言わないかもすごく悩んで、今までの自分を否定する構えで、やっと想いを伝えたというのに。
彼の言葉は、とても遠いところから聞こえてくるようだった。
話が通じない。そう思った。


彼も生きている。
死んでほしいのに、死んでていいのに、今も心の中にある。

彼はプロフェッショナルだった。
今仕事をこなしてて、年下のディレクターと関わる時、クライアントと折衝をする時、飲みの場で、つい仕事の話を延々としてしまう時、自分は彼を思い出す。

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