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昔振った同性愛者のことが気になって仕方ない話

 小学生のとき、いじめられていた。教科書を奪われて、授業にもろくについていけなくなっていた。少しでも抵抗すれば、いじめっ子たちは口裏を合わせて先生を言いくるめてこちらが悪いということにしてくる。憎い。教科書が無いので、毎日隣の席の人に見せてもらうのだが、これがまた意地悪な奴で、先生の視線が無いタイミングではさっと教科書を隠してしまう。
 悔しくて悔しくて仕方ない。限られた時間で教科書を見て、頭の中に文章を刻み込もうと努力するうちに、文章を読むのは早くなったし、記憶力も良くなってきたと思う。

 強烈ないじめで、隣のクラスでは一人死んだ。毎日死にたい死にたいと思って生きてきたけど、本気で死ぬかもしれないと思うと怖くなる。いじめられっ子同士で協力して生き残ろうという流れが生まれた。奪われた教科書の代わりに、仲間のものを借りて勉強して。そのうち仲間同士で勉強を教え合うようになった。
 仲間だ。友達ではないかもしれないが、協力するしかない仲間。それぞれ変な奴で、何を考えているかよく分からないし、嫌いなところも目に付いたが、仲間だった。

 私に告白してきたのは、そんな付き合いに誘うべきか悩んで、結局誘わなかった子だった。持ち物全てに自分の名前を書いていて、カードゲームのカード1つ1つにまで名前を書いているせいで交換ができなくて寂しそうにしている。そんな子だった。
 そんな子が、突然帰りの会で「言いたいことがあります!」と立ち上がって、クラス全員の前で私に告白してきた。

 当時の自分は、「自分のことを好きになる人間なんているわけない」と思っていた。利害関係による共闘でしか、人と繋がれないと思っていた。だから疑ってかかった。毎日好きだと言われても、信じられなかった。

 そうしているうちに、その子がいじめられるようになった。同性に告白して付きまとう変な奴だったから。代わりに私は、被害者ポジションを得てクラス内で慰められるようになった。私に対するいじめは無くなった。
 私はもう一度いじめられるのが怖くて、いじめに加担し始めた。最低だと思う。小学校を卒業するまで、自分に好意を示してくれている相手を「キモい」「死ね」と罵り続けた。自分が嫌っていた言葉を使って、嫌っていた奴らの輪に打ち解けていった。
 その子は頭が良くて、中学受験に成功して男子校に入っていった。

 その経験がずっと胸にひっかかっている。悪いことをした。自分は同性と恋愛できるのか分からない。人を好きになることが分からない。けど、あのときもう少し相手の言葉を聞くべきだった。
 家の場所を教えていないのに後を付けてきて、いつしか毎朝玄関前で待機するようになった変な子だったけど、もっと話を聞くべきだった。音も無く後ろから忍び寄って、抱き着いてくる変な子だったけど、もっと話を聞くべきだった

 という話をすると、よく同性から告白される。中学校でも、高校でも、大学でも。そのたびに「ごめん他に好きな女の子がいて……いま親友と三角関係中で……互いのラブレターを添削し合っているところで……」「ごめん今4つの部活を掛け持ちしてて本当に時間無くて……」「ごめん今ネットの知り合いとのロールプレイ疑似恋愛にのめり込んでて……」「ごめん今ヤバい鬱でだんだん文字が読めなくなってる中で卒論書く必要があって恋愛してる場合じゃなくて……」とかで振ってきた。本当にそれどころじゃなかった。
 いつか1度、同性と付き合ってみるべきだという意識は今でもある。


 高校生活半ば。地獄のような地元を離れて、毎日電車で隣の市まで通う生活にも慣れてきた頃。小学校で告白してきたあの子と、休日にたまたま再会した日があった。
 中高一貫の男子校に進んで、無事に彼氏ができた。幸せだ。と言っていた。良かった……。心からそう安心した。

 でも、今は、あのときのあの子に彼氏がいなかったら、違う未来もあったんじゃないかなんてことを思う。あの子と付き合うべきだった。あの子と付き合いたい。
 
 昔振った同性愛者のことが気になって仕方ない。

 ひょっとして、全部分かっていた上で私を守るためにあんな振る舞いをしていたんじゃないかなんて思う日もある。でも、あとで彼氏を作っていたので、同性愛者なのは事実なはず。計画的な自己犠牲などではないはず。
 そうであってください。そうでないと耐えられない。ただ純粋に、好きなものを好きだと言っていて、まわりからどう思われようがそう振る舞うことが彼の幸せであったのだと、そう思いたい。

 ずっと後悔が残っている。あの日の自分はボロボロで、他の選択をする余裕なんて無かったかもしれないけど。せめて、自分の何を好きになってくれたのか、聞いておけばよかった。

 

 


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