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郷に入るな従うな

 郷に入っては郷に従え、という言葉が苦手だ。

 自分が育った場所が、日本でトップクラスに貧しい地域だったと知ったのは成人した後のこと。引っ越してきた先の土地には「口裏を合わせて軽犯罪を隠蔽するための子供会」があった。自分は協力を断って指の骨を折られた。郷に入っては郷に従え、という言葉が苦手だ。

 もちろんそんなのは極端な例である。世界の大半はちゃんとしたルールで動くちゃんとした組織が占めていて、ちゃんとしたルールに従うのは大切なことだ。
 でも世の中には、理不尽な郷があって、そこで育った人間がいる。理不尽に苛立ちながら育った人は思う。郷に従わないでくれ……!
 そういう人の世界では、「郷に入っては郷に従え」はとても危なっかしく見える。適応能力が高い人は、「環境次第でどんな悪事でもやりそう」に見える。コミュ力があって誰とでも話せる奴、集団に馴染むのが上手い奴、それが裏切りそうな奴に見える。
 
 ところで、ルールに従うのはだいたい良いことだ。軽犯罪を隠蔽する会みたいなヤバいところだったとしても、組織が上手く機能しているなら従っておいた方が人生楽に進むんじゃないだろうか。
 一つ一つのルールに考え込んでそれが妥当かどうか悩むようなことをしていれば、当然まわりに出遅れる。無駄に衝突することが増える。個別の事例について考えるのは時間がかかりすぎる。従う価値がある集団かどうかだけ考えて、中にいる間は悩まず従っておく。そういうスタンスの方が効率がよさそうだ。

 そう、効率の問題であって、そこに正義は無さそうだと感じてしまう。和を尊ぶ人のことが、自己中心的で怖い人に見えてしまうのだ。自分は。
 周りに合わせられないひねくれ者、要領の悪い頑固者だけを信頼して生き抜いてきたのだ。

 地元のヤバい風習に馴染めずいじめられていた子供たちで集まって、毎日のように勉強会をしていた。自分は教科書をいくつか奪われていたので、友人の教科書を見せてもらう限られた時間に集中するしかなかった。絶対こんなクソみたいな場所を出て行ってやる、と気合を入れて受験に挑んだ。それから毎日、片道一時間半かけて高校に通学した。
 あのときいっしょに勉強したハグレモノたちはどうしてるのだろう。女子は脱落率が高かった。メンタルを病んで声が出なくなったり、引きこもって会えなくなったり、東京に行くと言い出して行方不明になったりした。男子は一人自殺した。

 社会は信用できない。集団は恐ろしい。全体に合わせることの大切さを説く人は、全体のために少数派を殺しにきそうに思える。怖い。怖い。怖い。

 環境に左右されない自我を持つ者だけが仲間だ。
 だからあの頃は、必死で個性を誇示しようとしていた。反社会性を示すことに死に物狂いだった。自分たちに枠は無い、全員自由にやっていて、自分の目的のためにここにいる。それが大義名分だった。
 この地獄から逃げ出すことを諦めるのなら、勝手にすればいい。来るもの拒まず去る者追わず。

 今になって思うと、あの空気はなんというか。まさに嫌っていた半グレたちに似ていたかもしれない。

 郷に入っては郷に従え、という言葉が苦手だ。
 自分がそういう生き方をすることに嫌悪感がある。
 そして、いつまでも古い記憶に縛られて、抜け出したかった場所に囚われ続けている自分がいる。

 郷に入るな従うな。

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