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ベルセルクという作品と人生について。


2021年5月6日、

漫画家の三浦建太郎先生が急性大動脈解離によりご逝去されました。

心より、心よりご冥福をお祈りします。

三浦先生といえば代表作はベルセルク。日本が世界に誇るダークファンタジーです。

正直ショックすぎて、仕事はおろか思考もままならない状態ですが、ここにベルセルクとと共に生きてきた人生の半分を、ベルセルクへの想いと共に綴らせて頂きたいと思います。

ベルセルク自体の連載は1989年10月号のアニマルハウスから。(ヤングアニマルの前身ですね)当時3歳。この時は知る筈もなく。

ベルセルクという作品に出逢ったのは高校生の時でした。

高校2年生の時、拾ったんですよ。ヤングアニマル。

エロ本だと思って拾ったんです。実際エロ本でしたし。笑

でも拾った時は全然見向きもしなかったんですよ、ベルセルクには

ふたりエッチの虜でしたよ。笑

本当にちゃんとベルセルクを見たのは高校3年生の時です。

勉強も碌にしてなかった自分が悪いんですが、経済的な理由もあり大学への進学を諦めなければ行けなくなりました。大学までは行け、が親との約束だったのですが、その親からの金がねえ大学諦めろ、に当時は大ショック&猛反発。

え、何で高校行ってんの?俺

意味ないじゃん。

こうなるともう駄目でしたね、学校に行かなくなりました。

でも親に引きこもりみたいな所は見せたくない。

だから制服で学校を出て、着替えて時間を潰すのに、カラオケ、公園、etc・・・

色んなとこで時間潰しました。

中でも最高効率だったのが市の図書館でした。

何せ金がないので、無料で本が読める図書館とか最高でした。

涼しかったし笑

そこで出会ったのがベルセルクでした。

1巻を手に取ったらもう後は止まることはなかったです。止まるはずもないです。

夢中で読みました。激烈すぎました。ベルセルクの世界の眩しさ、グリフィスの美しく、そこから全てを失う様、ガッツの運命を自らの力で勝ち得て行く生き方、あの作品の熱はあまりにも当時のあの精神状態、思考、自分の環境への卑屈さに満ちていた自分へのメッセージとして強烈でした。

強烈なんてもんじゃなかった。

本当に鮮烈で、世界が変わりました。

本当に価値観が変わったんです。

ガッツの言葉が刺さるなんてもんではない。

あれだけの経験をし、多くのものを喪失いながら、それでも血反吐を吐きながら、ただ一つの(正確に言うとずっと2つなんですけどね笑)大切なものを失わない戦い。

高校生当時はちょうど獣鬼が出てきたぐらいまでだったと思うんですが、そこら辺はもう曖昧です、とにかく14巻〜22巻迄は、ベルセルクの、ガッツの生き方が詰まってる、人生を変えるに充分なインパクトでした。

そんなガッツの唯一の親友のグリフィス。

そのグリフィスがお城の舞踏会でシャルロット王妃と話すシーンのグリフィスのあまりにも有名すぎるグリフィスの言葉。

「生まれてしまったから しかたなくただ生きる・・・・・・・・・ そんな生き方オレには耐えられない」

この言葉が、今でも俺の生き方の根幹にある考え方に、大きく大きく影響を与えてます。

あの日あの図書館で、ベルセルクを読んだ瞬間から、人生が変わりました。誇張ではなく本当に思考が変わった瞬間です。

ガッツとグリフィス。

この二人の運命を超えて行く行き方に俺は心酔してしまったんですね。

んで、最初に話した、初めてベルセルクを読んだ時の話になるんですが、

拾ったヤングアニマルの話です。

当時は何とも思っていなかったんですが、今にして思えば運命だったんだなぁと思うんです。ベルセルクにも、象徴的なシーン、話数があるんですが、やはりその中でも蝕を除けば屈指のシーン。剣の丘の再会での、飛び立つグリフィスとガッツの会話。

ガッツ「あれだけのことをやって・・・・・・!!  何も変わりはしないだと!!?」

グリフィス「お前は知っていたはずだ オレがそうする男だと」

「お前だけは」


この話が乗ってるヤングアニマルだったんですよ、拾ったの。

あぁ、俺はベルセルクに魅了される運命だったんだなぁと。

そこからは本当に人生が、生き方が変わりました。

「何か」を手に入れる為に、親友と広島から東京へと上京。

何かで世界で1番になろうと決めて、東京で総合格闘技に没頭しました。

一応、本当に一応ですがギリギリプロで試合するぐらいにはなったんですが、そこで挫折。

また中身のない人間になりそうになっていた時に、これまた当時やったりやってなかったりしてた遊戯王OCGの仲間に、焚き付けられて遊戯王で世界一を目指すと宣言、

ハンドルネームは「グリフィス」で活動し、チームを立ち上げ(チーム名は鷹の団じゃないんですけどね笑)

センスあるやつなんていなかったけど、チームメンバーみんなで毎日、ひたすら研鑽し、色んな楽しい事、理不尽な負け方にも耐え、なんと2008年度には、遊戯王の世界大会で優勝することもできました。

グリフィスって名前で、世界の頂点を獲れた事は、決して自分一人で成した事では無いにしても、今でも俺の誇りです。

その後の署名活動したのにIDの作り替えとかは、褒められたもんでは無いんですが・・・若く、幼く、未熟でした。色んな人を裏切ったなぁと、今でも本当に後悔してます。みんなごめんなさい。

それでもそうやって浮き沈み、心の状態が良くない時は自殺未遂のような事もしたり、うつになり、それでもまたまわりに助けられ、生きてきて、そして何とか社会に戻ってきて、その肩書きで今もメシ食わせてもらって、大切な伴侶も出来て、可愛い可愛いおチビが2人も居て(りんちゃんとしょうくん)

そうやって生きてきたこの35年、ベルセルクに出会ってからはもう19年になるわけですが、

毎回、毎回、ヤングアニマルにベルセルクが掲載された時は喜び、隅々まで読み漁り、また次にベルセルクが掲載される日を心待ちにして生きてきました。

自殺未遂の時も、鬱の時も、

ギリギリ死ななかったのは嘘じゃ無く本当にベルセルクの続きが読みたかったから死ななかったんです。

これを一度、感謝の気持ちを込めて三浦先生にお手紙を出した事があります。

当時先生がどハマりしてた、アイマスのロングタオルを送らせてもらい、一方的に感謝を伝える内容を送りつけさせて頂きました。

そしたらなんと、先生、ファンレターを出してくれた人には、年賀状を出してくださるんですね。家に三浦先生から年賀状が届いた時は、打ち震えました。謎の舞いも踊りました。今でも大切に、大切に実家のベルセルクグッズ箱に保存してあります。

ベルセルクに生き方を教えて貰ったからここまで生きてこれたし、色んなものが見れたり、本当に大切な人達との出会いを貰えたり、

何をどれぐらいベルセルクから、三浦建太郎先生から頂いたか数え切れないぐらい頂きました。

生きる楽しみを頂いていました。

でももう無い。

あの圧倒的な書き込み量と濃密な絵はもう生まれて来ないし、

20数年かけて取り戻したキャスカの自我も、これから少しづつ取り戻す筈だったガッツとの距離感も、

髑髏の騎士の正体も、グリフィスとの交わり方も、深淵の神の真実も、

もう先生は先に幽界の少し深いところにズレていってしまったので、物質世界に先生の意識が先生の手によって表現される事はもう無いです。

全然受け入れられる気がしない。

喪失感なんて言葉では語れない。

どうしよう。

感謝の気持ちを込めて書いた記事ですが、終われない。

終わりたく無い。

終われる気がしない。

やだ、って感情と、どうすればいいの?って感情しか出てこない。

ベルセルクの最新話を待つ事のない世界線に飛び込めない。




先生がどこまで最後を執筆なさっているのか。

とりあえず、先生が現世に残した確かな物質、最新話までは確実にこの目で確かめたいと思います。

ベルセルク展とか、サーガプロジェクトとか、前を向ける要素もありますが、

とりあえずは

364話を待ちます。

ベルセルクはまだ無くなっちゃいねえ、って

まだ我々には見届けなくてはいけない未来があると思います。

長い長い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。

まだ三浦建太郎先生にさよならが言えないのが

偽らざる心境です。











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