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人生は出会いで作られている

2020年8月13日(木)
今日は6年越しで坂爪圭吾さんに直接お会いした日だった。

人生のどん底とも思えるようなタイミングで坂爪さんの文章に触れ、「このままでは終わらせない」「ここから絶対に這い上がってみせる」そんな風に思わせてもらった方です。

「嘘つきめ、もっと自分を出してみろよ」「それが本当に自分らしく生きてると言えるのか?」「お前は本当に、それでいい、と胸を張って言えるのか?」そんな問いかけをされているようで、ぐうの音も出ない、そう思ったのを覚えている。

本人にお会いした感想は、「ああ、やっぱりそうか」。
お話しの中で坂爪さんが言ってくださった言葉に、「ああ、自分を生きることを諦めなくてよかったな」と強く思った。

そして真っ直ぐな瞳からは「もうこれ以上、自分を誤魔化すなよ」というメッセージを(勝手に)受け取った。

誤魔化して生きるのは、もう、やめよう。
日和見主義ではなく、「あなたはそう思うのですね。私はこう思うのです。」
もっと言えば、「ごめんなさい、私とあなたは見ている世界があまりにも違うようです。お互いを尊重するためにも、限りあるエネルギーと時間のためにも、今後、あなたと関わるのを遠慮させていただきます。」も遠慮せずに伝えていく。(言葉ではっきり伝えられるようになることが目標ですが、まだ態度でしか表せない私。笑)

「いやいや、それはないよ」「その発言は不快です」「どうしてそんなことを平気な顔で言えるのですか?」「ごめんなさい、出て行ってもらえますか?」そう言えないできました。(主に自分のお店での話です)
そう思ってしまう自分を責めたことも一度や二度ではなく、内観し、自分の心の何に引っかかっているのかを探っても来ました。

その人から好かれていたいのではなく、面倒ごとを避けたかった。
場の空気を悪くしたくなかったと言えば聞こえはいいですが、ただ、逃げていただけだと思う。

できるだけあったかくて、いい空気の場所を保ちたかった。人が人を肯定する場所でありたかった。性善説に立ちたかった。でも、折に触れて、信じられない言動、思考回路の人もいる、ということを痛感させられてきた。(そうならざるを得なかった環境、背景があることもわかった上です。)

その上で、
「差別はしない。区別はする。」
これは個性心理学の師匠である諸江洋一先生の言葉。
いろんな人がいる。いろんな自分もいる。
経験と知識で想定内を増やし、経験からの成長と勇気で想定外を楽しむ器を広げていこう。

そしていまも、嫌なものは嫌でいい、と思う私もいる。
「好き」に理由がない、ということは、「嫌い」だってそうなのかもしれない。嫌なものは嫌。

「嫌いだ」と思っている自分を肯定しよう。
そして、嫌悪感を抱く時間よりも、好きな人や事柄を思う時間を増やそう。(難しい時もあるけれど、意識とトレーニングで、癖付けできると思う)

人や何かを嫌う自分を、認めよう。
それでいいのだ。嫌なものは嫌なんだ。
嘘をついて笑うのをやめよう。
明確な線引きをしていこう。
できるだけ「いい顔」で生きていきたい。

人生は出会いで作られている。
誰とどのタイミングで出会うかは我々は選べないけれど、どの出会いを未来へ紡ぎ、どの出会いを過去のものとして手放すかは、決められる。

自分の未来に、その人にいてほしいだろうか?
その人の未来に、自分は、いたいだろうか?

起こる出来事の全てを楽しむ器がまだ無い以上、
「手放す」「線引きする」ということも大切だと再度思った今日だった。

厳選した大切なものを、ますます大切にしていこう。


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