多様性とは

私には高3理系のの弟がいる。

彼曰く、「人を殺したらダメ。誰が誰を殺そうとその罪は同じ。だから、この人は懲役10年で、この人は死刑って言うのが理解できない。例外とか理解できない。物理の世界で重力加速度が変わったら駄目だろ」

これは、家族で多様性について話してた時に出た台詞だ。

"若いな、弟よ"

法学部卒の両親含め私も彼の意見が"一般的でないこと""多くの賛成を得られないこと"は知っている。

だが、弟と私の間にある大きな違いはそこじゃない。


それは

【他者を理解する心】


この年齢にもなると、高校の先生が言っていた「この世に絶対的な善も悪もない」という言葉がわかってくる。その先生が語った例え話が記憶に残ってる。

ある貧しい国は水が汚い。でも生きていくには水を飲むしかない。免疫力が低い子供はその水を飲んで亡くなる。そこで先進国の人たちは善意で水を綺麗にした。でも、結果亡くなる人の数は増えた。何故か。
その国では避妊教育/性教育がなされていなかった。子供の数は増えていくが食料や医療体制が不十分なことに変わりはない。だから、結局成人する子供の数は変わらない。また子供が生きるという理由で、子供の出産を繰り返し身体的/精神的に傷つくお母さんも増える。
さて、この国は本当に良くなったのか。先進国の善意は良かったのか。

この話が実話かは知らない。7年以上前に聞いた話だ。でも、絶対的な正義はないと思った瞬間でもあった。

では、全ての意見を認めるべきなのか?

いや、違う。
世の中にはモラルがある。モラル(=道徳)の中に法律があり、さらにその中にその地域独特のルールがある。

そのモラルは守るべき規範だ。
何故モラルがあるのか、それは他者を尊敬するためだ。自分の意見ばかり主張することは、相手の尊厳を踏みにじることになる。それではよくない。だから、モラルがある。
モラルは道徳の時間で習っているはずなので割愛するが、要は他者を尊敬する心を学ぶことだ。

だが、今回のコロナでのネットの反応を見ている限りこういった相手を尊敬する/認めるという気持ちが少ないように思える。

何故、自分の意見/正義が絶対的に正しいと思えるのか。

絶対的なものなど、人の価値観や意見において存在しない。そこにあるのは常にbetterかどうか。それだけだ。
相手の意見も自分の意見もone of themにしかすぎない。

たった1つの絶対的な答えは、義務教育の算数のみにしかない。

弟を含め、多くの人にこの価値観が広まれば良いと思う。本当の多様性は自分を主張することではない、相手を知り、自分の意見と相手の意見が互いにone of themであることを知ることだ。

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