クリアな世界と騒がしい世界

昨日いつも通り会社に急いで向かっていた時、横並びに歩く中学生たちに道を塞がれた。

邪魔だなぁ、まあ若いからしょうがない、と思いながら、無理やり横を通り過ぎようとした時、彼らの会話が耳に入ってきた。

「なんで立てこもりなんてしたんだろー」
「郵便局の人と話したかったなら、普通に話に行けばいいのにな」
「ただ暴れたかったんじゃね?」

あ、今朝報道があった郵便局の立てこもり事件のことだな、と思うと同時に、こんな朝っぱらから友だちと話す第一トピックが犯人の心情についてだなんて…なんて好奇心旺盛なんだ。と感心してしまった。

彼らの会話は、事象の背景に色々なものがあるかもしれないという可能性が見えていないような中身で、再び「若いなぁ」と思った。

そこでふと考えたことが、幼児の自己中心性について。

幼児は7歳くらいまで自己中心的な世界に生きている。

これはピアジェという心理学者が提唱した概念で、幼児の持つ「自分の見えている世界と他人の見えている世界は同じ」という思考のことをいう。

7歳を過ぎると、人との関わりの中で他者の思考を理解できるようになってくる。これを脱中心化という。

時々出会う「え、この人、自分の世界と他人の世界同じだと思ってる??」という人は、もしかしたら脱中心化が未達なのかもしれない、と思ったりする。

しかし幼児の心の世界は、とてもクリアで、さぞかし穏やかな世界なのかもしれない。

色々な視点や世界が自分の世界に入ってくると、騒がしく、がんじがらめになってしまう。

だから、子供からしたら「なんで大人なのにあんなことするの?」と思うようなことを大人がするのは、心の世界がグチャグチャで混乱しているのかもしれない。

しかし歳をとると、それはそれで、心の世界が整理されクリアになっていく。

今まで吸収してきたものから取捨選択をし、自分の人生を肯定する信念が固められ、外からの介入を許さない。

おじいちゃんに嵐のすばらしさを伝えても、「昔の演歌歌手は〜…」という話をされるのも頷ける。

つまり何が言いたいかというと、
ある意味無邪気な自己中心性は時に眩しくて、
ごちゃごちゃ騒がしい脱中心化された世界も悪くないってこと。

そしてカッチカチに固まった世界はある側面、尊敬に値するということ。


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