麻雀プロ三ヶ島幸助冤罪事件④

三ヶ島幸助は、駐ベネズエラ日本大使館の顧問弁護士ワシントンと第2回の公聴会に備え、接見を重ねていた。
ある日ワシントンは三ヶ島に、警察に何かされなかったと聞いてきた。
三ヶ島は空港で200ドルを騙し取られた話を切々と訴えた。
弁護士らによると、悪い警察官は法律をろくに知らずとにかく何でも捕まえる、それで賄賂を要求する、空港で長年コーヒーを売っていたおじさんがある日突然逮捕されて保釈金を払えと言われる、そういうことが横行しているとのことであった。
インフレが激し過ぎて、給与だけでは生活できない警察官が増加の一途をたどり、食うためにそういうことをしている警察官もいるという。
結局、200ドルは立証が困難で取り戻すのは難しいと弁護士は言ってきた。三ヶ島は唇を噛みしめた。

留置から1か月以上経過していた。
相変わらず部屋はすし詰めの状態だ。身体中がかゆい。胃腸の強い三ヶ島だが腹を壊すこともあった。こぶしが丸々身体にめり込むほどに痩せてきた。
ある日、ひとりの留置者が太ももの生々しい傷を見せてきた。
「俺は刑務所で右足をナイフでえぐられた。日本人のお前はムショに行ったら生きて帰れないかもな」
留置仲間には、服役経験者も何人かいた。あそこは最悪だとみな口を揃えた。
第2回の公聴会を間近に控え、三ヶ島は弁護士らと接見をした。ワシントンは言った。
「あなたの行為は法律に違反しません。9割は無罪になるでしょう。だが残りの10%は分かりません。今、ベネズエラは混乱しています」
「先生、分かりました。でも、もし自分が有罪になってしまったら、僕は暴れて警察官に手を出すかもしれません。チョークスリーパーで絞め落とそうとするかもしれない。そうなってライフルで撃ち殺されても仕方がない。そのときは先生、お袋によろしくお願いします」
どうせ死ぬのならあの腐った奴らに一泡吹かせてから死んでやれ。留置が長引き、三ヶ島は肉体的にも精神的にも追い込まれていた。

7月26日、第2回の公聴会が開かれた。
裁判所に到着すると、警備の警察官からチップを要求された。もはや慣れっこである。無視して進んだ。
三ヶ島が待合室に着いたのは午前11時頃である。それから待てども待てども呼ばれない。今日の公聴会が勝負所だと弁護士から聞かされていた。いてもたってもいられず、待ち時間が永遠の時間に感じられた。
時計の針が午後3時を回り、ようやく公聴会が開催されることになった。裁判官と検察官の双方が遅刻していたらしい。よくあることです、体格の良い弁護士セザールが三ヶ島に説明した。

長い待ち時間を経て開かれた公聴会は、拍子抜けするほど短時間で終わった。
裁判所から呼び出されてから約20分後、三ヶ島は裁判官から密輸の罪にはあたらないと宣告された。弁護側の主張がほぼ全面的に認められたのである。本日をもって留置場から釈放されることもあわせて告げられた。
ただし、完全に無罪が確定するには幾つかの条件が付されることになった。
ひとつは釈放後3か月間ベネズエラのカラカス市内に滞在すること。その間、月に1度裁判所に出頭して面談を受けること。もうひとつは、裁判所にバインダー1個、ボールペン1本、A4用紙500枚を寄付すること。裁判所も申告な物不足であるとのことであった。
三ヶ島はワシントンとセザールに深々と頭を下げた。2人の弁護士は満足そうに微笑んだ。

三ヶ島はただちに指定された物品を購入して裁判所に納め、後片付けをするために留置場に戻った。
留置場を出る際、中国人女性のリーチン(仮名)と出くわした。リーチンは留置場内で掃除や洗濯などの雑用をしており、大使館への伝言を預かってくれることもよくあった。まめに動いてくれる女性で三ヶ島は色々と助けられていた。
「今日で出られることになりました。お世話になりました、ありがとうございました」
三ヶ島は頭を下げた。
「よかったわね。私も早く出たいけどまだ無理。来年くらいまでかかりそう」
三ヶ島はリーチンのことを警察署の職員だと思っていたが、実際には彼女も留置されているひとりであった。聞くと人身売買の容疑で捕まっており、少なくとも今年いっぱいは釈放される見込みはないという。
世話になったことにかわりはない、三ヶ島は大使館から差し入れられたドリンクの残り全てをリーチンに渡した。

その後三ヶ島は弁護士らと共に空港にむかった。没収されたスーツケースや現金を返してもらうためである。
空港内の警察事務所に着いたのは午後6時頃であった。今は人がいないので午後6時に来いと言われた。6時に行くと、今度は責任者がいないので対応できないという。実際に対応されたのは午後10時を回っていた。
スーツケースと現金が返却され、弁護士セザールは返された紙幣と手持ちのコピーを照らし合わせていた。この紙幣は、三ヶ島が大使館に預けたのを後から警察が没収したものであるが、弁護士らは没収されるときに紙幣のコピーを取り札番号を控えていた。
「こうしておかないと返却されるときに偽札をつかまされ、その後通貨偽造の罪をでっち上げられて逮捕される可能性があるのです」
セザールの説明だった。
返却された現金は2000ドル(日本円で約20万円)であった。これはベネズエラでは非常な大金である。襲撃される可能性があるからとのことで空港への行き帰りは防弾ガラス付きの車でおこなった。

釈放された後、三ヶ島はカラカス市内のホテルに3か月間滞在した。ホテルは留置場に比べるとはるかに快適ではあるが、衛生状況は良いものではなく、三ヶ島は全身の湿疹に悩まされた。
この3か月間は、メールやラインで可能な範囲で仕事をしたり、弱った身体を戻すためにジムに通ったりして過ごした。
7月27日、8月27日、9月27日に3回裁判所での面談をおこない、10月19日、三ヶ島はベネズエラを発ち日本に帰国した。
4か月ぶりの日本である。出発したときは梅雨の季節だったが、夏はすっかり通り過ぎ、日本の秋が深まっていた。
とりあえず焼肉食いてえな。もうすぐ冬だ、魚も良い。カワハギ、ノドグロ、あん肝・・・。三ヶ島は美食家だ。ベネズエラでは決して食べられない洗練された日本食を口にして、ようやく日本に戻ったことを実感したという。

そして三ヶ島には日常が戻る。店を経営し、競技麻雀に勤しむ日々を送っている。
私は現在、三ヶ島と同じリーグにいる。実は次節で三ヶ島と対戦する予定である。
「僕の麻雀の持ち味はメンタルですね。メンタルにはわりと自信があります」
三ヶ島は語る。
それは言われなくても分かります、思わず口に出そうになった。
もしかしたら、このベネズエラでのいきさつをお読みくださった読者も同じ思いかもしれない。
三ヶ島幸助とメンタル勝負をしようとは思わない。



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