麻雀プロ三ヶ島幸助冤罪事件③

三ヶ島幸助は1971年4月生まれ、現在49歳。ベネズエラで逮捕されたときは47歳だった。
三ヶ島が競技麻雀のプロになったのは1994年、23歳のときだ。当初は101競技連盟(以下「101」という)に所属していた。
プロになってから3年目、26歳のときに101での大きなタイトルである八翔位を獲得している。デビュー間もない若者による戴冠は、当時の麻雀界で話題になった。
三ヶ島は2003年に101を退会、その後2007年に最高位戦日本プロ麻雀協会に所属して現在に至る。最高位戦に入会したときは、最高位を4度獲得している伝説的な雀士金子正輝から直接電話がかかってきて激励されたという。
事件当時、三ヶ島は最高位戦のリーグ戦で上から2番目のリーグに所属しており、最高位戦のもうひとつ大きなタイトル戦である最高位戦Classicでは最上位の1組に所属していた。
三ヶ島は、その人生で競技麻雀に多大な労と時間を割いてきた。

2018年6月14日、三ヶ島はシモン・ボリバル空港で身柄を拘束され、空港内の事務所に連れて行かれたのだが、このとき、警察官が不在で三ヶ島がひとり待たされている時間があった。パソコンを見るとワイファイは繋がっている。三ヶ島はアプリを開き「今ベネズエラだが、身柄を拘束されてしまった。違法なことはしていないが、警察に誤解されているかもしれない。すぐに大使館に連絡してほしい。後は大使館の指示に従ってくれ」と母親にラインをした。母はすぐに行動し、事件直後から大使館が動くことになった。
このタイミングで迅速にラインをしたのは好判断であった。その後すぐに三ヶ島は留置されワイファイが繋がらない環境になる。スペイン語も話せず身柄拘束されている中、大使館の協力なしには何もできない状況になる。大使館の存在は三ヶ島の大きな力になった。
トラブル時に迅速適切な対応をすることは難しい。人は想定外のトラブルに遭うと、平常心を失い、動揺し、判断力が低下する。
とくに三ヶ島の場合は、政情不安定な異国の地でいきなり身柄を拘束されるという状況にあった。周囲に日本語の通じる相手は誰もいない。ここで冷静な行動を取るのは生易しいことではないだろう。
「僕は長いこと麻雀をやってきました。麻雀は理不尽なゲーム、理不尽な目に遭うことが山ほどあります」
三ヶ島は語る。
「僕は麻雀が強くなりたかったのでメンタルを鍛えました。ツキがなく悪い流れが続いても、我慢して最善の選択をすること。いつでもそれができるように。空港で拘束されたときも、酷いことになったと思いましたよ。ツイていない、悪い流れが来てしまったと。でも理不尽な状況でもやるべきことをしないといけないと思った。それでワイファイがまだ繋がっているのを見つけたので母にラインをしたんです」

三ヶ島が留置された事実は在ベネズエラ日本大使館が早い段階から知ることとなり、留置の翌日には大使館の日本人職員が三ヶ島のもとに接見に訪れた。この状況で見る日本人の顔は、三ヶ島に束の間の安堵感を覚えさせた。
職員は、三ヶ島にベネズエラの実情を伝えた。
ベネズエラは危機的な経済状況にあり、激しいインフレの真っただ中にある。公式レートで交換されていない「闇ドル」も横行している。多くのベネズエラ人が貧困の中にありまともな教育を受けられない。警察官も例外ではない。末端警察官の月給は2ドル(日本円で200円)しかない。警察官が食べていくために違法行為に手を染めることもある。
ベネズエラでは、三ヶ島が逮捕された日から約2か月後、通貨が5ケタ減らされる大幅なデノミが施行されている。日本で言うと100万円の貯金が10円になるというデノミだ。ベネズエラの経済は混乱を極めていた。三ヶ島が空港で200ドルを騙し取られたのも、今はさほど異常な出来事ではないという話だった。
「三ヶ島さんの件は、少しまずいことになっています。今日明日で釈放されるというわけにはいかないでしょう」
職員は三ヶ島に率直に伝えた。事件は容疑のあるものとして正式な刑事手続に乗ってしまっているとのことであった。
「とにかく何でも相談して下さい。私たちが力になります」

検察官に懲役10年を求刑された6月16日の公聴会の後、三ヶ島はただちに大使館職員と接見した。
「弁護士を替えたいので、大使館から紹介してもらえませんか。お金は払います」
法廷で頼れるのは弁護士だ、やる気のない国選弁護士に任しておくわけにはいかないと三ヶ島は思った。
「分かりました」
職員は快諾した。

6月20日、弁護士ワシントン(仮名)とその部下の弁護士セザール(仮名)が三ヶ島のもとに接見に訪れた。
ワシントンは推定年齢50代半ば、痩せ形で落ち着き払った雰囲気が三ヶ島を安心させた。セザールは推定年齢40代前半、こちらは非常に体格がよく弁護士というより屈強な刑事を想起させた。
ワシントンとセザールは、大使館に絡んだいくつかの法的トラブルをこれまでに解決してきた弁護士で、大使館は何かあれば彼らに頼っているとのことであった。
初回の接見で、三ヶ島は自分の主張を言った。
「私はコンプライアンスには常に気を使って仕事をしています。ベネズエラの法律も調べてから来ました。ベネズエラ法では昆虫の持ち出しは禁止されていないはずです。私は違法行為をしたつもりはありません」
穏やかな口調でワシントンは返した。
「あなたのおっしゃるとおり、ベネズエラの法律では昆虫の持ち出しは禁止されていません。次の公聴会まではまだ時間があります。ゆっくりと弁護戦術を練っていきましょう。留置場で問題を起こすと釈放されにくくなります。留置場には色々な人がいるでしょうが、とにかく冷静に、トラブルを起こさないようにしてください」
「分かりました。よろしくお願いします」
「今のベネズエラは、ろくに法律を確認せずとにかく捕まえて留置場に入れて置くという傾向があります。無罪の可能性は十分にあります。後は任せてください」
ワシントンにはベテラン弁護士らしい余裕が十分に感じられた。横ではセザールが大きな体格には似つかわしくない素早い手の動きで熱心にメモを取っていた。
接見を終え、弁護士らは重そうな鞄を持って席を立った。
流れが変わるかもしれないな。2人の背中を見て三ヶ島は思った。

その後三ヶ島は2人の弁護士と5回程度の接見を重ね、入念な打ち合わせをした。
弁護士らは、三ヶ島に事実の詳細を聞いてきた。
渡航の目的、日程、取引の相手、金額、昆虫の種類、量。昆虫の種類についてはとくに詳しく聞かれた。全ての事実を確認し終え、弁護士らは三ヶ島の行為は法律への抵触はなく無罪だと結論付けた。弁護の法的理論構成もさほど難しくないと言われた。
ワシントンは経験豊富で人脈も豊かであった。余裕たっぷりなベテラン弁護士の言葉は三ヶ島を勇気付けた。
「私は長年大学で教鞭を取っています。あなたの事件を担当している裁判官、彼も私の教え子のひとりなんですよ。彼のことは昔からよく知っています。法律家としてのタイプもね」

第2回の公聴会は、7月26日に開かれる。

to be continued(次回最終回)

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