麻雀プロ三ヶ島幸助冤罪事件①

「あなたの行為が法律に違反しないことは明白だ。9割は無罪になるだろう。だが残りの10%は分からない。なぜなら、ここはベネズエラだからだ」
公聴会を控えた薄暗い接見室で、在ベネズエラ日本国大使館の顧問弁護士であるワシントン(仮名)は言った。
「先生、分かりました。でも、もし自分が有罪になってしまったら、僕は暴れて警察官に手を出すかもしれません。チョークスリーパーで絞め落とそうとするかもしれない。そうなってライフルで撃ち殺されても仕方がない。そのときは先生、お袋によろしくお願いします」
三ヶ島幸助は本気だった。俺は刑務所で右足をナイフでえぐられた、日本人のお前はムショに行ったら生きて帰れないかもな。留置仲間から聞かされた言葉が頭をよぎる。
どうせ死ぬのならあの腐った奴らに一泡吹かせてから死んでやれ。三ヶ島はそこまで追い込まれていた――



最高位戦日本プロ麻雀協会に所属する麻雀プロ三ヶ島幸助がベネズエラで逮捕されたという報道が日本でなされたのは、2018年7月のことである。
報道によれば、三ヶ島はカブトムシやクワガタを密輸しようとした疑いで、同年6月ベネズエラの警察に逮捕されたとのことであった。
しかしこれは、冤罪であった。
ベネズエラの法律では、哺乳類、鳥類、爬虫類の輸出は禁止されているが、昆虫類の輸出は禁止されていない。
三ヶ島がベネズエラから持ち出そうとしたのはカブトムシとクワガタである。
カブトムシやクワガタが哺乳類、鳥類、爬虫類に該当しないことは明白であり、また人権保障の観点から、刑法適用について文言の拡大解釈や類推解釈はできない。
カブトムシやクワガタが哺乳類、鳥類、爬虫類に類似する等の理由で処罰することは近代法では不可能である。
こう書くと簡単な話のようでもあるのだが、三ヶ島の場合、捕まった国が問題であった。
冤罪で逮捕されたのがひとつ大きな不運だとすれば、その場所がベネズエラだったというのはさらに大きな不運であった。
先日、アメリカの司法省がベネズエラのマドゥロ大統領とその側近らを麻薬密輸罪で起訴したという報道が出た。司法省長官は、マドゥロ政権を単に腐敗しているだけでなく、政府の仮面を被った麻薬組織だと公式にコメントした。
大統領は行政の長であり、警察はそこに直轄されている行政組織である。
アメリカの言い方を借りれば、三ヶ島は、政府の仮面を被った麻薬組織に無実の罪で拘束されたのである。


三ヶ島は、浅草でカブトムシやクワガタを販売する「Ultimate Mika KABU KUWA」(以下「Ultimate」という)を経営している。仕事に誠実な三ヶ島の人柄が評価されているのだろう、店はかなり繁盛しているようだ。その評判は東京にとどまらず、九州から定期的に飛行機で上京し買付けにくる常連客もいるのだという。その客はいつも妻を連れて上京するも、妻には「君は買い物でもしてきなさい」と言ってクレジットカードを渡して銀座に行かせ、自分はじっくりとクワガタを選ぶのだ。
僕はたぶんクワガタ界では最高位ですね、三ヶ島はおどけて言う(注・最高位とは、三ヶ島が所属する最高位戦日本プロ麻雀協会で最も価値の高いタイトルのこと)。

Ultimatで販売される昆虫は、三ヶ島自身が繁殖させることが多いが、海外から取り寄せるケースもある。
2018年6月12日、三ヶ島はカブトムシとクワガタを受領する目的で、単身日本を経ちベネズエラに向った。滞在予定は2泊3日、現地での取引相手は、バイヤーのロベルト(仮名)と採集者のエンリケ(仮名)である。三ヶ島はこのベネズエラ人コンビと2016年に1回、2017年に1回の計2回取引している。初回の取引をする前に、三ヶ島はベネズエラの法律を調べ、ベネズエラでは哺乳類、鳥類、爬虫類等の無許可での輸出(持ち出し)は禁止されているが、昆虫類のそれは禁止されていないことを確認していた。
三ヶ島は昆虫関係の仕事をしてから15年程度になるが、経営者としてコンプライアンスには慎重に気を配っていた。
ワシントン条約や植物検疫法(昭和25年5月4日法律第151号)に抵触する虫は取り扱わないことを徹底し、微妙な案件については農林水産省直轄の植物検疫所に確認していた。
海外が絡む案件については、必ず現地の法律を確認してから取引するようにしていた。
そのためこれまでの間、国内でも国外でもこれまで法的トラブルになったことは1度もなかった。
今回の件についても、各種法律に違反しないことを十分に確認してから三ヶ島はベネズエラに飛び立った。

今回の取引では、三ヶ島は輸出許可証の取得をロベルトに依頼していた。
ベネズエラ法では昆虫を無許可で国外に持ち出しても違法にはならない。しかし前回の取引の際、三ヶ島が乗り継ぎに使ったアメリカの空港で職員に呼び止められ、カブトムシとクワガタの持ち出しについて問いただされたことがあった。その場で現地法律に違反しないことがすぐに確認され問題にはならなかったのだが、そのときに職員から、次からは輸出許可証を取った方がいい、そうしておいたらこういう手間も省ける、と言われたからである。
今回の取引では、三ヶ島がベネズエラに到着した6月12日の夜に、ロベルトの部下から輸出許可証を渡される予定であった。ところが12日の夜、約束の時間を過ぎても誰も来ないので、三ヶ島はロベルトに電話した。まだ取れていない、明日の夜には渡すから待っていてほしいとロベルトは返事した。14日はベネズエラを発つからなるべく急いでほしい、三ヶ島は言った。
しかし結局14日に三ヶ島が出発するときまで、輸出許可証は渡されなかった。

6月14日、三ヶ島は仕入れた約150匹のカブトムシとクワガタを携え、ベネズエラの首都カラカスの北に位置するシモン・ボリバル空港にいた。
前日の13日、輸出許可証は渡されなかったが、取引は予定通りなされた。三ヶ島の泊まっているホテルにエンリケが来て、カブトムシとクワガタが渡され、三ヶ島は代金を支払った。
三ヶ島は空港のゲートを出て、日本行の飛行機に乗った。
それは突然の出来事であった。誰かが「インセクト!インセクト!」と大声で騒ぐのが三ヶ島の耳に入った。インセクトとは英語で昆虫の意である。ほどなく制服を着た複数の警察官が現れ、三ヶ島は身柄を拘束されてしまった。

拘束された三ヶ島が連れて行かれたのは、空港内にある警察の事務所だった。取調べ担当の警察官は三ヶ島にスペイン語で質問してきた。三ヶ島はスペイン語を話せないので、持参しているノートパソコンの翻訳ソフトを用いてやり取りした。
「お前は輸出許可証を持っていないのか」
警察官は三ヶ島をぎろりとにらんだ。
「輸出許可証は持っていない、しかしこれは昆虫だ、昆虫の持ち出しは法律で禁止されていない。私は無実である、私は日本で大事な仕事を控えている、ただちに釈放してほしい」
三ヶ島の主張が並んだパソコンの画面を見終えると、警察官は三ヶ島をじっと見つめた。取調べ担当の警察官の横には、部下と思われる若い警察官が横に立っていた。
「お前、釈放されたいならこいつとトイレに行け。そこでこいつに200ドル(日本円で約2万円)を渡せ。ここは監視カメラがあるからまずい。だからトイレで渡せ。ただしカブトムシとクワガタは返せない。これは没収する」
警察官は三ヶ島に告げた。
背に腹は代えられない、三ヶ島は言われたとおりに行動した。
三ヶ島は経営者であると同時に、麻雀プロでもある。この時点で三ヶ島は所属する最高位戦で9個あるリーグ(注・現在は10個ある)の上から2番目のリーグに属していた。強豪の麻雀プロであることが三ヶ島のもうひとつの顔である。次のリーグ戦は、7月4日の予定であった。このまま拘束が長引いて日本に戻れないことになると最悪リーグ戦が休場扱いになってしまう。休場になると自動的に降級である。それは何としてでも避けたい。一刻も早く釈放されたい。
三ヶ島は若い警官とともに席を立ち、トイレで200ドルを渡し、事務所に戻った。
「ここで待っておけ」
取調べ担当の警察官は三ヶ島に告げると、部下を連れて出て行った。

その時点で午後8時を回っていた。
それから1時間が経ち、2時間が経ち、まだ誰も戻ってこない。ただ、待たされる。この後ベネズエラで三ヶ島が何度も体験するシチュエーションである。
3時間が経ち、午後11時を回ろうとする頃、警察官が戻ってきた。
「行くぞ、ついてこい」
三ヶ島は粗末なジープのような車に乗せられた。車内では警察官が何事か言っていたが、車内はワイファイが繋がらない状態になっており、翻訳ソフトが使えず、三ヶ島には何を言っているか分からなかった。
ほどなく車は汚い建物の前で止まった。そこは警察署であり、三ヶ島は車から降ろされた。
何を言っているか分からないスペイン語で何事かを告げられ、三ヶ島の手にガチャリと手錠がはめられた。
長い戦いのはじまりであった。

to be continued


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