麻雀プロ三ヶ島幸助冤罪事件②

200ドルを渡せば釈放してやるという警察官の言は嘘であった。
警察署に連れて行かれた三ヶ島幸助はそのまま留置場に入れられた。そこは12坪ほどの広さで、三ヶ島含め12~13人が留置されていた。留置者は入れ代わりも激しく多いときでは20人程度がこの部屋に詰め込まれていた。
衛生環境はひどいもので、トイレの便座は壊れており、手洗い場ではお湯が出ない。水はかろうじて出たが、よく止まっていた。風呂に入ることはできず、冷たい水のシャワーが1日5分だけ使えるのでそれで身体を洗っていた。
食事は1日2食、午前10時にパンがひと切れ、午後3時にパスタ少々(日本のコンビニパスタの半分程度の量)、それ以外には支給されなかった。
留置から1か月経ったころ、三ヶ島がふと自分の身体を見ると明らかに痩せ細っており、触ってみると脇腹にこぶしが丸々めり込んだ。
留置場では衰弱死した人もいると聞かされていた。
これが3か月続くと俺も持たないかもしれない、三ヶ島は思った。

留置者の国籍は多様であり、ベネズエラ人のほか、中国人、イタリア人、カメルーン人、そして日本人の三ヶ島がいた。
職業もばらばらであるが、留置者のうち4人が警察官であったことに三ヶ島は驚いた。空港で200ドルを騙し取られたのは偶然ではない、この国では警察官が罪を犯すのは特別なことではないと後に三ヶ島は聞かされることになる。
大半の者は万引きなどの微罪で留置されていた。経済的に混乱しているベネズエラでは生きていくためにやむを得ず罪を犯す者も多いとの話だった。
ある日、目つきの鋭いひとりの留置者が三ヶ島をにらみ付けてきた。このとき、三ヶ島の言によれば「ガンをつけられたので仕方なく」にらみ返したとのだという。三ヶ島は178センチ72キロで筋肉質、長年のプロレスファンでありジムで体を鍛えるのが日課だ。非礼や理不尽を嫌う性格である。
「ミカ、お前さっきあいつにガン飛ばしていただろう、奴には気をつけた方がいいぜ」
英語が話せるベネズエラ人の留置者が三ヶ島に耳打ちしてきた。
「あいつはさ、弁護士を刺し殺してここにいるんだ」

過酷な環境にあるこの留置場では、留置者同士に戦友意識のようなものがうまれ、徐々にではあるが親しくなるケースが多かったと三ヶ島は言う。
悪徳弁護士を刺した容疑で留置されているベネズエラ人ホセ(仮名)と三ヶ島も例外でなく、少しずつコミュニケーションを取るようになっていく。
ある日、暇をもてあました2人は腕相撲で対決することになった。ベネズエラ人は上背はあまりない。ホセもそうであった。身長では三ヶ島が5センチ上回る。筋トレは三ヶ島の趣味のひとつと言ってよい。しかし、この腕相撲で三ヶ島は完敗を喫する。三ヶ島は振り返る。
「組み合った瞬間に思いました、あ、これは駄目だなと。僕ら日本人と彼らでは骨格が違うんですよね。骨が太い。高田がヒクソンに連敗した理由が納得できました」
ホセはやはり異彩を放つ男であった。ある夜三ヶ島が目を覚ますと、ホセが起きている。何をやっているのだろうと目をやると、一心不乱にナイフを研いでいたのだという。留置場への刃物の持ち込みは当然禁止であり、日本でなら持ち込むのはほぼ不可能である。しかしこの国でそういうセキュリティを求めることはできない。


ベネズエラの刑事法では、被疑者の処分は弁護士、検察官、裁判官の三者立ち会いでなされる公聴会を経て決定される。この公聴会が、日本でいう裁判期日のような役割を果たしているようだ。
逮捕された2日後である6月16日、三ヶ島の第1回の公聴会が開かれた。
ベネズエラでは待ち時間がとにかく長い。裁判所に到着した三ヶ島は、待機部屋で待たされることになる。
待機中、警察官がやってきて三ヶ島の左手を指さした。金属製品を裁判所に持ち込むのはだめだ、腕時計を外して預けろということだった。裁判所に悪印象を持たれるのは避けたいので三ヶ島は言うとおりにした。
しばらくするとまた別の警察官がやってきて、手で100という文字をつくり三ヶ島に示した。100ドル渡せば自由にしてやるということらしい。何回も騙されるほど馬鹿ではない、三ヶ島はこれを無視した。

ようやく裁判官と検察官が揃い、公聴会が開始された。
簡単な訴訟指揮を裁判官がおこない、検察官が捜査の結果を弁論した。
「密輸は重大な犯罪である。懲役10年が相当であると考える」
弁論の最後で検察官が声高々に宣言した。
三ヶ島には国選の弁護士が付いていた。国選弁護士は、被疑者のお金ではなく国家の費用で雇われる弁護士である。
「罰金刑が相当である」
弁護士は弁論した。
今回の件については、三ヶ島は無罪だと考えていたのが、弁護士は有罪を前提に罰金刑を主張した。
しかし三ヶ島が持ち出そうとしたのは昆虫である。昆虫の持ち出しについて、ベネズエラの法律で規制はない。とすれば弁護側は無罪を主張すべきである。
このような案件で被疑者の許可もなく有罪前提の主張をしたとすれば、日本でなら弁護過誤となり懲戒請求を受ける可能性もある。
三ヶ島がこの国選弁護士と顔を会わせるのはこの場がはじめであった。弁護士は被疑者とろくに打ち合わせもせず期日に臨んだということである。職務怠慢と言わざるを得ないだろう。


公聴会が終わり、三ヶ島は帰りの車に乗った。
物事に動じない性格の三ヶ島も、さすがに焦燥の念を覚えざるを得なかった。
三ヶ島は各種法律を十分に確認した上で取引に臨んでいる。自分が罪を犯していないことに確信はあった。しかしこの国が普通でないことを既に実感させられている。法の保護者である警察が、平気な顔で法を犯してくるのだ。
このまま検察の主張が通れば、長期間刑務所に収容されることになる。それはイコール生命への現実的な危険を意味する。危機的な財政状況にあるベネズエラにおいて、刑務所の環境の悪さは留置場の比ではない。最悪の環境下で、暴動、放火、果ては受刑者同士の殺し合いも起きているという話を三ヶ島は聞かされていた。
ふと三ヶ島が左手に目をやると、腕時計がない。公聴会後に返却される予定だった腕時計が返されていなかったのだ。
警察は腐っている。法もモラルも踏みにじる警察官たちの行動は、三ヶ島をいっそう苛立たせた。
三ヶ島は横にいた女性警官のシェリル(仮名)に腕時計が返されていないと訴えた。シェリルは車を降り裁判所に向い、ほどなく三ヶ島が預けた腕時計を持って車内に戻ってきた。三ヶ島は丁寧に礼を言った。
車が動き出した。留置されている警察署までは15分程度である。
「ねえ、これ見てよ。これ、私なの」
横に乗っていたシェリルが三ヶ島にスマホの画面を見せてきた。そこには下着を身につけたシェリルが写っていた。混血の国であるベネズエラは美人の産地として名高い。シェリルも例外ではなかった。
「可愛いね、スタイル抜群だね」三ヶ島が感想を伝えると、シェリルは三ヶ島の頬にキスをした。
「私にもキスして」シェリルから言われたので、三ヶ島もシェリルの頬にキスをした。
車が警察署に到着した。
落ち込んでいても仕方ないな。三ヶ島は思った。この状況でも、すべきことをしないといけない。まだ死んだわけではない。
翌日から、三ヶ島は反撃のために動き出す。

to be continued

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