サラ

世界のどこかにいるけれど、もう会えないあの人の話をしよう。

サラは昔の恋人のお兄さんの彼女だ。
エンジニアでよく日に焼けていて、とても勝ち気な女性。
ダイビングやアウトドアが趣味で、仕事で世界中に住みながら、旅するように生きている人だった。
意見ははっきり言うし、声も大きい。周囲にいると周りをコントロールしはじめる女王様のイメージで、生まれた文化の違いなど関係なく、苦手と感じる人が多いと彼から聞いていた。

例外なく、自分も彼女が苦手だった。
時には、彼女たちと同じ言語が話せないからという理由で、恋人家族の食事会に呼ばれなかったり、遊びに誘われなかったりした。
英語しか話せない自分がいけないのは分かっていても、ほんの少しの差異をつけられることで、心に小さな小さな切り傷が付き、治ることなく残り続けた。

当時は昼間に働き、夜は学校に通う生活をしていたこともあり、語学の勉強が全く捗らない自分への自己嫌悪と、輪に入れない疎外感から、彼女たちのコミュニティに入ること自体に嫌気と恐怖を感じるようになった。
そういったことや、元々性格の合わない相手だったのだろう、恋人との関係も鉄が冷えるように瞬く間に冷たく、静かにただそこに存在するだけのものになっていった。

そんな憂鬱な関係なのに、なぜかみんなで地中海へバカンスに行った。けれど、その旅行も阻害感から逃れられるはずがなく、自分の殻に閉じ籠るか不機嫌な態度になるか、まわりへの配慮などまったく気にせず過ごしていた。今思えばなぜもっと楽しめなかったのか、交流ができないなら1人でどこかにいって、自分の機嫌を取ればよかったのにと思う。ただひたすらに、自分への自己嫌悪で塞ぎ込んでいた。

そんな時、なぜかサラと出かけることになった。理由は本当に思い出せないのだけれど、これこそ神様のいたずらだろう。
不思議なことに、出かけ先で、サラは英語で楽しそうに様々なことを話してくれた。現地の文化にも詳しくて、観光ガイドのようだった。こんなにフレンドリーで、親切な一面があったのを知らなかった。宿に帰った後は、いつもどおりの女王様に戻っていた。もしかしたら彼氏の前と女友達の前で態度が変わる人なのかもしれない。

人は多面的である、とはよく言ったもので、なのに気付かぬうちに、ステレオタイプのイメージにはめてしまう。卑屈になって塞ぎ込んだことで、本当の彼女に触れる機会を自分から失っていたのだろう。自分の課題で精一杯で、人に対して興味関心が持てなくなっていたことに気づかせてくれた。

この時の教訓は、忘れがちになってしまう。時間に追われ、仕事に追われると、他人なんてどうでもよくなってしまう。そんな時、ふと深呼吸をして、あの夏のことを思い出すと、これから出会うであろう苦手な人にも、臆せずに話しかけてみようと勇気が湧いてくる。

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