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良薬

「この本を読みたいから生きよう」と思う瞬間が多々ある。
読みかけ、またはいつか読むつもりで手付かずの小説は、自分の心が弱った時に命を繋いでくれるのだ。


文学は薬だと思う。


夢中になって読み耽っている間だけ、現実世界から逃げられる。その遮断される時間がたまらなく好きだ。
本の中にだけ存在する世界に行ける。

"生きることへの苦痛を感じなくていいから"
全てに疲れた時、真っ先に読書がしたいと思うのは、きっとそういうことなのだろう。




…おっと、堅苦しい文はそこまでだ。
このノリを維持するのはぶっちゃけ大変。


昨年遠野に行った際、駅前の観光案内所内の売店で購入したこちら⬇

「こりゃまた随分と京極先生っぽい表紙だな…🧐」と思ったら本当に京極先生だった。


こちらをようやっと読み始めました。
私生活バタバタでなかなかゆっくり読書する暇が無くてよう…。

『遠野物語』に入り切らなかった話を集めたものですね。
遠野物語よりも先にこっちを読むのもどうかと思ったけど、面白いので何でもええす。
取っ掛りとしていいのかもしれない。

今作成中の遠野の記事(なんとまだ書き終わりません)を投稿する前に読んでよかった。
こちらの内容も織り交ぜようかなと思………うのはいいとして余計時間が掛かりますよこれは( ᴖ ·̫ ᴖ )


おれ何で京極先生のこと知ったんだっけな。
その辺のことは何も覚えてないけど、初めて買った小説は『西巷説百物語』でした。 
当時楓は15歳。

高校に上がってからは『巷説百物語』と交互に読んでた。
がちで青春です。


先日、Twitterで
“あなたが15歳の時に何かを語ってくれた本は、あなたが50歳の時にもまた何かを語ってくれるだろう”
という旨のツイートが流れてきて、ああそうかもなあと。
ふとした瞬間に、青春時代ずっと傍にいてくれた本を読みたくなる。里帰りみたいな感覚な。
まだ15歳から9年…もうそろ10年か、それしか経ってないけど
50歳になっても、もっと行ってヨボヨボのじじいになっても読みたくなるんだろうなって。そんな気しかしない。

遠野物語拾遺読み終わったら、巷説百物語シリーズ読み返そうかと思ってる。
京極夏彦作品一度読み出すと止まらんすぎて、おれと相性良いんだなと思いたくなりますね。
「相性良いです」と言い切るのは恐れ多いのでやめておきました。



しおりはステンレス製しか使わん芸人になりつつある。
正直しおりは紙を適当に切ったものでも十分役割は果たせるのだけど、やっぱり使うものも拘りたいよなあ。だってそれでもっと読書が楽しくなるんだぜ。

前にどっかでも言った気がしますが、お洒落且つ凝ったしおりが好きです。

おれの相方
ミュシャ(「夢想」)のしおり
余りにも可愛すぎて、未開封のまま墓場まで持って行くつもりだったネコチャン𓃠
悲しいかな、事情があり開封してしまいました…本当に可愛すぎるので見て…。


去年宮城県美術館で買ったフェルメールのしおりもあったはずなのに見当たらんかった。
使う為というよりも、コレクション目的でこういうのが増えていきそう。収集癖があるので…。

美しいものは多ければ多いほどいいですよ。
手が届く範囲にあるとすぐに心が潤います。
軽率に心を潤していこう。

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