6/28分 第57作 テーマ:砂漠

広漠な砂漠の旅。皆どんな旅だと想像するのだろう?

何もなく、単調な道を、喉の渇きと灼熱の気候に耐えながら、ひたすら前進を続ける旅。

そんなところだろうか。

イメージは様々あるとしても、ポジティブなイメージを描く人はいないのだろう。

何もない、ただ前進を続けるだけの旅は、誰しも好まないのだ。

では、「人生山あり谷あり」と例えられるその「人生」とやらを歩く旅はどうだ?

これは意見がはっきりと分かれる。「悪いことがあったら、その分必ず、良いこともある。だから面白い!」と言える人。そうかと思えば、「いいことの後には必ず悪いことがやってくる。だからどんな時も気を抜けないし、人生なんて結局死に向かっているだけなんだ。」と、悲観的なとらえ方をする人もいる。

砂漠の旅に対して皆がネガティブなイメージを持つことからわかるように、人間誰しも、退屈で単調な旅は嫌うのだ。

どこかしらで必ず、変化を望んでいる。そのくせ、いざ実際に変化が訪れると、それを嘆く人がある。

一体人間というものは不思議なものだ。

何かがないならないで嘆くし、あるならあるで嘆く。いったい人間の心は、どうすれば満たすことが出来るのだろうか?

それがずっと、私の人生のテーマでした。どうすれば人の心は満たされるのか?

私が見つけた答えは、「自分の心は自分で満たす」。

そのための生き方、方法論は、私なりに確立し、人に教えられるレベルにまでなった。だから私は最近、ずっと心が満たされています。

しかし、そんな私が最近唯一、自分の心を満たせなくなった瞬間があります。

それは、「お前は怪しい宗教でも開こうとしている!」と、最初からつかみかからんばかりの勢いで私を否定してきた、とある男性との出会い。

活動すれば反対意見になんてたくさん出会う。いろんな人から、真っ向から否定されることだって、山のようにある。そんなことは分かっていたから、否定されたこと自体は全然気にしていない。問題は、私がその人の思いを理解しようとしなかったことだ。

人が何かに反対するとき、そこにはきっと何かしらの理由があるはずなんだ。だからそこを理解すれば、目の前の相手のことは、きっと好きになれる。それなのに私は、その人のことを理解しようとしなかった。

自分自身がたくさんの人に囲まれていて、幸せの絶頂を迎えていたからこそ、盲目になってしまっていたのでしょう。

私が彼と出会って2日後、彼は自殺したそうです。遺書にはこう書いてありました。「もう幸せというものが何なのか分からない。きっとこの世には、幸せというものは存在しないに違いない」

私は大変後悔しました。あの時私が彼と、しっかり向き合うことが出来ていたら、彼のことを救えたかもしれないのに、と。

それから私は、心に誓いました。

「心は常に砂漠にしよう」。何もない、真っ新な状態で、他人と向き合おう。そうすればきっと、どんなに小さなことでも、他人の特徴や変化に、全て気づけるはずだからと。

我々の人生は変化に富みすぎている。それは素晴らしいことで、誰しもが望んでいるだろうことだから別にいいのだけれど、その喧噪にかまけて、真っ新な気持で、他人と向き合うことを、忘れていやしないだろうか。

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