7/5分 第64作 テーマ:頂上

いつだったか富士山に登ったとき。
頂上から見る景色がとても綺麗だったのを覚えている。

タワマンの最上階に住んでいる知人の部屋から街を見下ろしたとき、壮観だったのを覚えている。

どちらも高いところから綺麗な景色を見下ろしたには違いなく、素敵だなと感じ、景色に圧倒されたのも事実なのだが、両者の感覚は全然違っていた。

富士山とタワマンじゃ高さが全然違うからそんなの当たり前?
いや、そうじゃない。あの感覚の違いはきっとそういうことではない。

おそらくだが、富士山の景色は、登山に疲れた状態で見たから、綺麗に見えたのだと思う。

一方タワマンは、エレベーターで上がり、
何の苦労もなく到達できたから、感動もそこそこだったのだ。

要するに、物の見え方なんて、結局対比なのだ。
自分の心が疲れていれば、その分周りの景色は綺麗に見える。

他人がやたらと輝いていて見えるとき、
それはきっと、自分がうまく行ってなかったり、
頑張っていなかったりするときだ。

他人がやたら幸せそうに見えるとき、
それは自分が悲しみを抱えているときだ。

他人がやたらとしょうもなく見えるとき、
それは自分が。。。

他人がやたらと可哀想に思えるとき、
それは自分が。。。

本当にこれでいいんだろうか?

人間だって動物である以上、弱肉強食の原理には従うようなプログラムになっているはずなんだ。自分と他人を思わず比べて、どちらが強そうか測り、負けそうなら逃げる。

それが当然の世界だとは思う。
思うのだけれど、目の前の相手を、
可哀想だとか、しょうもないとか、
上から見下ろすような感覚でいて、本当に大丈夫なんだろうか?

頂上から見下ろす景色は素敵だが、
それよりも頂上を見上げて歩き続ける、
そちらの方が俺の性には合っているな、
そんなふうに感じる今日この頃である。

俺にとっての頂上とは、そういうものだ。

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