7/6分 第65作 テーマ:文鎮

俺は幼い頃、習字を習っていたのだが、その当時は、文鎮というものの価値がどうしてもわかりかねていた。

文鎮がなんのためにあるのか、その意味を頭の中で理解はしていた。俺たちが字を書く間、半紙が動いて、文字に意図せぬ乱れが発生しないように、半紙をしっかり固定してくれる、そんな役割だ。

しかし俺には、必要性が分からなかった。文鎮など使わなくても、半紙が大きくずれることなどないと思っていたし、使うにしても、そこまで重くある必要などない、そんな風に思っていた。

そんな俺にとって文鎮は、無駄にカバンを重くする鬱陶しい存在でしかなかった。

そんな当時、小説の一節にこんなたとえ話が出てきた。

「彼は俺にとって、文鎮のような存在であった。俺のために動くことは決してない。むしろ、何があっても絶対に動かない、そんな存在だった。俺にはその存在が大きかった。彼がいるから俺は、安心してのびのびと、生きることが出来ていた」

意味がさっぱりわからなかったのだが、この間俺は、ふとした瞬間にこの喩えを思い出して、感傷に浸ったことがある。

まず、俺と違って感情の起伏が全くない。だから当然、何事にも動じない。いつも泰然自若としている。

「達観している」という言い方もできるのだが、その言葉が似合わないくらいの好感度を、彼は持っていた。

彼が重鎮なら俺は筆。あちこち自由に動き回って文字を描く。

全く相いれないタイプなのだが、その二人が合わさって、一つの芸術作品を紡ぎ出していく。

今ではそのコンビネーションを楽しんでいた。

自分とは全く違うタイプ、「文鎮」の彼を、受け入れることができたからこその、コラボレーションだった。

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