7/10分 第69作 テーマ:救急車

小さい頃、救急車が好きだった。

他の車とは違い、合法的に信号無視ができる。

大きな音を鳴らして、注目をかっさらいながら、悠然と走ることが出来る。

そんな他人とは違う特別感に、幼心に憧れを抱いていたのかもしれない。

だから俺は、救急車のサイレンが聞こえると心を躍らせていたし、近くに救急車が止まったと見るや、全てを放り出して、駆け寄って見に行った。

あるとき気が付いた。救急車を目撃できるのは、自分にとっては嬉しいのだが、救急車が動いているということは、それだけ怪我や病気で痛い目に遭っている人がいるということなんだ。

それに気が付いてから、救急車には何らの魅力も感じなくなった。

それどころか、この世の中のありとあらゆるサービス、製品は、恩恵を受ける人がいれば、必ずその裏に、悲しい思いをしている人がいるに違いないと思った。

自分が試合に勝って喜んでいるときは、必ず負けて悲しむ相手がいる。

自分がお金をもらうときは、お金をくれた人がお金を失っていることになる。

自分が「この商品お買い得だな」と思ったとき、その商品の売り手は、この商品は利益にならないなと感じている。

結局はゼロサム。この世の中、自分が経験するすべてのプラスとマイナスを足し合わせると、ゼロになるんだ。ゼロにならないのだとしたら、それは他人の不幸に目がいかない、不道徳な奴だけだ。

俺はいつしかそんな風に考えるようになった。

大学で「パレート改善」について習った時もそうだった。理論上はあり得ても、この世の中で実現するのは、物々交換以外にあり得ない。そんな風に思っていた。

しかしとある経営者に出会って考えが一変した。

自分が得意なこと以外は、全て自分の仲間に外注する。しかし、自分の得意なことは、必要最低限のお金で、相手に施す。

お互いの得意と得意を物々交換して、それだけで彼の生活は成り立っていた。

これはすごいぞ、そう思って僕は、彼に弟子入りしたのである。

そこから俺の修行の日々が始まった。

Win-winというとき、「Win」は相手の利益、「win」は自分の利益であるべきなのだが、どうしても逆になってしまう。

その癖を克服するのに必要なのは、自分の幸せと他人の幸せを一致させること。そこに至るまでに、何年もかかってしまった。

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