7/9分 第68作 テーマ:素麺

素麺。そう聞くと俺の頭には、様々な素麺、様々な思い出が湧き上がってくる。

まず第一に色付きの素麺。素麺の束の中で、ほんの数本だけピンクや緑の色付きの麺が混ざっている。その色付き麺に出会えることに喜びを感じた。

味噌汁の中に入っている素麺。普段は麺つゆをかけて食べているが、我が家でごくごくたまに食べられる、レアな組み合わせだった。

あるいは、何もかけずに、麺だけで食べる素麺。なぜだか幼少期、これにはまったことがある。しかし食べすぎると、塩分が濃い独特の味にやられて、少し気分が悪くなってしまうものだった。

そして何より、流し素麺。上から流れてくるわずかな麺を必死で追いかけて、箸で掴んで食べる。その競技性に魅力を感じていた。とても楽しい、夏の思い出の代表格の1つだった。

しかし今では、その流し素麺に、何の魅力を感じなくなってしまった。まず、流したとしても簡単に箸で取れるから、面白みを感じない。まとめてささっとご飯を食べてしまいたいのに、そういうわけにいかないからじれったい。その割に、準備にやたらと時間を食われる。

流れてくるわずかな麺をつかみ取るより、目の前にしっかりおかれている麵をすする方が楽しくなってしまったのだ。

……何も素麺に限った、話ではないのかもしれない。

何事においても、一瞬のうちに流れてくるわずかな可能性、チャンスを、純粋な好奇心から掴もうとする姿勢を、大人になって忘れてしまったのかも知れない。積み重ねたものが大きくなってしまったせいだろうか。

他人の話を聞いてワクワクしなくなった。あるのは疑問と疑いだけ。何かあればすぐに「怪しい」と思い、何かと比較する。

どちらの生き方をしていようとも、素麺にはありつける。

だが本当に、今のままの生き方でいいんだろうか。

いつやってくるかわからないほんの一瞬のチャンスを待ち焦がれて、いざというときには目を輝かせながらつかみ取る。

そんな人生は、なぜどこかへ、どこへ行ってしまったのだろうか。

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