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おでんとしらすとディアボラ風

 好きな食べ物を聞かれたら、

 「おでんとしらすとディアボラ風」

と答える。補足するまでもないが、ご存じサイゼリヤが提供する若鶏のディアボラ風のことだ。おでんはコンビニのレジ横、しらすはスーパーの少し質の良いもので十分だが、どちらも時期によってしまう。その点ディアボラ風だけがサイゼで通年食せるのだ。久々の投稿はサイゼ天晴れ、サイゼエッセイである。

 先日ディアボラ風の到着を待っていると、斜め向かいで男子学生達が「あいつ(教師)、ワークから問題出さないよなぁ」とぼやき、反対側にいる女子学生達が「好きピが返信くれなくて〜」と嘆き、左手では中年の微妙な距離感の男女が、職場の不倫がどうこう尾篭な話をし、右手では御高齢マダム3人衆が、あのスーパーが安いだの、あそこは品揃えが良いだの、行くとつい余計に買っちゃうだの話している。フロアの向こうで騒いでいる肉体労働系連中に注意を向けると、その場にいない同僚を、だからあいつはダメなんだ!と貶し、後輩バカウケというパターンを繰り返している。あまりにも各々が各々らし過ぎるセリフを吐いているので、

 「お前ら本分全うしてんな!!!」

と映画『スカーフェイス』のアル・パチーノばりに立ち上がって叫びそうになったが、ただほくそ笑み、切れ味の悪いナイフでディアボラに取り掛かるのであった。サイゼの店内は"世間"の縮図である。

 そんなサイゼのテンプレセリフ客の中にも時代の変化が見てとれる。こないだは男子学生同士が自撮りをしているのを見て驚いた。後にSNSに上げるのか知らないが、男友達同士で自撮りをするなど、私なら照れ臭くてスマホをぶん投げてしまう。またデータはないが、客の年齢層が上がった感覚もある。昨今、物価も税金も上がるばかりで、給与はそれに見合うほど上がらず、国民は貧しくなる一方である。安価が強みの外食チェーンも原材料費・輸送費の高騰で軒並み値上げしている中、サイゼのミラノ風ドリアは時が止まったかのように300円。ディアボラ風も500円。ピザ・パスタ類もほぼ500円以下。サイゼの客層が拡がって当然という話である。

 しかし人間の汚さ・愚かさを知ってしまった私は思う。この途方もない安さがサイゼ従事者の大きな犠牲の上に成立していないかと。前提として外食産業は低賃金かも知れぬが、サイゼを支える人達に心から感謝しているからこそ、もしその人らに過度な負担を強いているのであれば、それはいくらサイゼが好きだとしても許しがたいことだ。ディアボラ風に私は倍の千円出しても良いと思っている。他のメニューに関しても100円以上値上げしても頼む価値を見出している。値上げをしない、という徹底した取り組みや会社の方針は記事でも知れるし、労働問題が明るみになっていない限りはサイゼのことを信じたい。サイゼは不可能を可能にする男、いや、お店なのだと思いたい。

 私にとっては子供の頃に家族で行った折、よくミートソースボロニア風を頼んだことや、バイト終わりに近くにあったサイゼで同僚とカードゲームに興じたこと、大学の後輩とジャニスで借りたニッチなCDを読み込みながら駄弁ったことなど、交友関係希薄な私の人生において、そのような貴重な時間がサイゼという場所と結びついていたりもする。どうかこれからも日本外食史の"生ける伝説"として、末長く繁盛して欲しい。

追伸、ミラノ風ドリアはまかない飯がメニュー化したもののようで、1970年当初は380円で発売、人気とともに480円まで値上がりしたが、1999年に一気に290円まで値下げして、ほぼ変わらぬ300円で今日に至るようである。ちょっと訳がわからなくて頭が痛くなってきた。 

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