騒がしい多数派

少数派VS多数派

日本人って 声がでかくてそれらしくて 楽しく笑ってたら
そっちの方が良さげ と思って
すぐにそっちに行きたい。寄りたいと思う。

農耕民族であり、集団集落での生活が、自己保全に最適な環境であると遺伝子に刷り込まれてる民族の弱さでしょう。
イレギュラーな存在は、排除したがり、集団に寄りたい。そこで安定を得たい。そう思う心はわからなくも無いが、その集団は本当に安全なのでしょうか。
ただただ傷を舐めあうハイエナの道で、未来のことも考えずに、今を享受する。今が笑ってられたらそれでいい。というだけで、本当は組織として。集団としては瓦解してるのではないか。納得した人生を送れる集であるのか

優秀な少数派の人間は、声をあげない。騒がしくしない。
大声を出すこともないし、集団に迎合することもない。集団の中にひそかに溶け込みながらも。目だとうとしない。
そっちに心底、寄ることが、本当のメリットでない。と知っているから
なぜなら 大衆の総意で決定することは、恐ろしく脆い砂城であり、それは平均的な考えでなく、中央値な考えが、総意となってることを知っているから。
中央値に寄り添って優秀なモノがレベルを下げるデメリットを少数派の人間は知っている


個性を発揮したい。唯一無二と思われたい。
唯我独尊と思いこみたい。自分には生まれた意味があるはずだ。と信じたい。
その為、集団の中に居たがる癖に、アイデンティティを誇示じます。
その癖
人から変わってると見られたくない。悪目立ちしたくない 。一人になりたくない。孤独を味わいたくない。
さみしい人生を送りたくない。みんなに良く見られたい。
自分を曲げてもそう思うのです。人は群れなす生き物。
群れなさずには生存競争に勝てない弱い生物だった歴史が遺伝子に刻まれているのです。

優秀な人間は、木の葉を隠すには山の中が一番。という事を知ってるので、誰もが大衆の中に溶け込み日常を過ごそうとします。
優秀でない人間を導くこともせず、大衆の中に溶け込み自分のアイデンティティを維持しつつ、共栄すら選ばない。というか共栄に意味を感じないからです。逆に優秀なのに大声で叫んでくれてる人は、ありがたい存在なのです。

どういった人間であれ、生を受けたかぎり、誰もが納得した人生を送りたい
そして 納得した死に方をしたいのです。

ただ大半は なにも考えずにでかい声で笑ってる方が
楽しそうな人生だな。そちらに寄りたい。と
沼にはまって貴重な時間や、やる気を失ってつまらない人生を送っていくのです。
そして死の間際、これでよかった。これでよかった。と自分に言い聞かせながら終わっていくんですよ。
助かります。

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