あなたは、大切なひと。その想いだけがわたしのビジネスの原動力でした。

こんにちは。温活で代謝アップを叶える専門家の丸田彩子です。


私は今でこそ
店舗を構え、サロンを経営しながらセラピストとして


自分の好きな場所、自由な時間のなかで活動しながらも

2ヶ月で100名以上のお様から選ばれつづけ
変化を喜ばれるお客様のそばで、毎日楽しく過ごしていますが

そもそもの私は、子供のころから目標達成とは程遠い
何をやっても人並みにできない、挑戦することに怯え、やる前からあきらめるような子供でした。

実は、今もそうです。人が半日でできることも、覚えるだけで1ヵ月掛かることが、たくさんあります。

こんな私がこのようなお仕事をしていることを、ちょっと不思議に思われるかもしれませんね。

私は、ボディケアを通して
触れることと、お話することで癒しを与えるセラピストとして活動するようになりました。

少し、私の話を聞いてくださいね。

【きっかけとなった2年前の出来事】
先日、カウンセリング中に
「彩子さんは、なぜ温活やセラピストになろうと思ったのですか?」
「きっかけはなんですか?」
と尋ねられたので

30歳を目前に、これからどんな人生を送りたいのか、
どんな自分でありたいかを考えるようになりました。
同時期コロナが蔓延し、会社に属する働き方が安心には繋がらないと
強く思うようになりました。

「何がしたいのか」ではなく、「どんな自分でありたいか」を考えると
今までいろんな方にお世話になったことばかりが、頭をよぎるのです。

人の役に立てる、個々との繋がりを感じるような毎日を送りたいと思う自分に気づき、それを形にするには
サービスを提供することだと考えるようになりました。

でもなぜそう思うのかさらに深堀すると、まわりの大人の発する言葉や表情がとことん暗いのです。

それは年齢を重ねるほどに自信を失い、自分ではどうすることもできない状況で諦め続け、できないことが増えていく世界にこころもからだも疲れているからなのだと。そこで自分や他人を傷つける毎日を送っているのだと。

一人ひとりが大切にされる感覚に触れ、大切にされていいんだと自分の価値を思い出す機会があれば。

周りに優しさが伝染する。平和に穏やかに暮らせる日々が広がる。

そのために、おもてなしされる、気遣ってもらえる、からだを大切に触れてもらえる場所をわたしが作ろう。そして好きだよと伝えよう。と決めたのです。

そこからすぐ、業界歴25年サロン経営をされてる現役セラピストである先生を訪ね、その日に指導を受けることを決めました。

【自分の根っこにある、やらない理由】
子供のころ、貧乏で両親の喧嘩が日常茶飯事の家庭で育ちました。
お金・暴力・不倫・酒・ギャンブルで自由に生きる父と
振り回されながらも、子供を養うために婚姻関係を続けている母と
父を憎み、母への暴力を止めに入る度、蹴られ殴られる兄。
本当にこわく、苦しく、家が好きではありませんでした。

お金によって、ひとが争うところをまじかに見て育ったので
お金はこわいもの。人もこわいもの。

そして、いつ捨てられてもおかしくないと思っていた。
わたしたちさえいなければ、母は自由になれると感じていたからです。
わたしが母の負担であり、母を苦しめているのもまた自分なのだと。

なので自分にお金をかけることは勿体ないことで、
お金のかからないことが正義ですべてでした。

「やってみたい、好きかも」という気持ちは持つだけ無駄で
「お金ない、意味ない、仕方ない」が口癖で世の中を見る目もさめている可愛げのない子供でした。

あの時出会った方には、謝りたいですね。

そして教育は、よく言うと放任。
勉強しろとも言われないが、テストでいい点を取ろうが「学校行ってるから当たり前」悪い点をとっても「私たちの子だから仕方ない」

周りが「親から言われた~」と言う話を聞く度に羨ましかったです。

外見も物心ついたときから嫌いで、運動もできない、周りと自分の能力の差を感じ、人前に出ることに恥ずかしさでいっぱいでした。

そんな自分が嫌いで、何もかも諦めた自分を演じるように「無理無駄」と挑戦することもなく、それを悟られないように強がり誤魔化しつづけていた。

そんな私も夢を見ます。

小学生で宝塚にあこがれ、本当に怖かったけど
「声楽を習える高校に通いたい」と親に嘆願、
親からは「そんなの無理に決まってる」と言われ悲しくなる一方、わたしには無理なんだと諦めました。

その高校は他県で学費など金銭的な要因もあるが、行ったところでどうなるの?という能力的な部分で否定されたように感じ、深く傷ついたことは今でも覚えています。

【卑屈な自分を変える、出会い】

高校卒業後、兵庫県のゴルフ場に就職し、20歳で退職。
退職を機に大阪へ引っ越しましたが
お金も貯めていたので、1ヵ月ニートを満喫しました。

仕事は生活のためにするものと考えていたので
知人に誘われた、派遣スタッフに登録し、仕事をスタートさせる。

そこで出会ったのが、25歳で5,000万円の売り上げを立てる現場の立ち上げ・責任者をしていた佐々木さん。

一派遣スタッフの私を、社員へのキャリアアップに推薦してくださった方であり、可愛がってくださいました。

ただ、一番印象に残っているのは「あなたは勿体ない」と言われたことです。
「でも、変わりたいと言いながら、変わらないのは、変わろうとしていないからだ」
「変われないのは、本当は今のままでいい。変わらなくてもいいと思ってるからだろう?」とも言われました。

まさにその通りです。図星すぎて、今でも思い出すと腹が立ちます。
あなたに何が分かるの?私だってこんなに苦しんでいるのに。

でも、この言葉が今でも、弱く諦めそうになるわたしを、なりたい理想へ向かわせてくれている、大切な言葉となっています。

【出会いによる、こころの変化】
図星と同時に、見つけて貰えたような気持ちで嬉しくなりました。
チャレンジすることは自由だと、背中を押されている気にすらなりました。

そこからチャレンジしてみようか、好きなことをやりたいな。
わたしって人の頑張る姿が好きなんだ。それは自分も頑張れるからだ。
ぐんぐんエネルギーが沸き上がってきました。

またその方が起業されたことも
「自分の未来は自分で掴む、自分を諦めず、挑戦していく」と自分へ誓いを強くすることとなりました。

【変われない自分へ苛立ち】
挑戦したい生き方、それに対する目標も自分で決めた。
先生の指導を受けると決め1歩踏み出すも、全然結果が出ない。

練習モデルさんからは、「全然気持ちよくない」「何がしたいのか分からない」と言われる日々、毎日繰り返し練習を重ねるも
実践会では同じダメ出しをもらう始末。

先生の熱い指導の甲斐もなく、上達しない不甲斐なさから
やっぱり何やってもダメだなと、情けなさで泣きながら指導を受けたこともありました。

それでも根気強く続け、試験に合格し、今セラピストを続けているのは
わたしが諦めることで、傷ついたままの人達が苦しみ続けることになると
知っているからです。

そして、癒しを提供することがわたしの幸せで、
疲れて傷ついた心にあかりを灯したいという気持ちが、ただただ「原動力」になりました。

【乗り越えて気付いたこと】
そもそも不調になるからだのどこに原因があるのか、からだが楽になるとはどうゆうことか、痛みの原因を学び直しました。

痛みや辛さが、癒しや安らぎに変わる体の中では
「温める」ことが大きく作用していること
「血液や血管の質が改善されると、体の再生力が自然と身に付く」ことを知りました。

そして【温活】にたどり着いたのです。

【わたしの想い】
安心感と安らぎに包まれながら、自分を労る習慣が身につくことで
日常に戻っても疲れを回復させる、元気を取り戻す、フラットな状態に戻せるようになり

気分の落ち込みが少なくなり、好きなことにチャレンジできるこころの余裕と健康なからだを手にできる。

1人1人が自分を大切に扱うことが許される世の中になれば
本来の輝きが戻るだけでなく、病気やストレスで人生を閉ざされない未来を手に入れられると本気で信じています。

この瞬間を懸命に生きているあなたが、あなた自身でいることに喜びを感じる未来を歩めるように、全力で応援します。


公式LINEのご登録はこちら👇

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?