連想メシ〜駅弁、トンカツ、コロッケの話

メシを食うたび、思い出す。

それは自分自身の過去のこと、日常の風景や旅の思い出のときもあるし、なにかの作品のワンシーンのこともある。

メシを食うとき、自分の記憶の引き出し奥からひょっこりと顔を出すイメージたち。

今回はそんな、さまざまなイメージと分かちがたく結びついてしまったメシの話を書いてみよう。

名付けて、「連想メシ」。



駅弁

駅弁、美味いけどちょっとお高いよね。

そして俺のような暴食の輩にとっては量も満腹……というよりはおやつサイズ。

駅弁を買うたびに思い出して、一回やってみたいと思いながらも見送る小さな夢。

それが我が人生のバイブル・こち亀の一コマにあった、駅弁複数食いだ。

読んで字の如く、駅弁を一個じゃなく複数買って食うだけ。

作中でもほんの一瞬、たしか両津が檸檬を京都旅行に連れていく話の新幹線内でのワンシーンで、積み重ねた駅弁を両津が片っ端から食べてるというただそれだけのシーン……

だったのだが、いやこれすごい贅沢じゃないか!?と当時の俺は衝撃を受けたのだった。

それから時が流れること幾星霜。未だに積み重ねどころかダブル駅弁すら挑戦できていない。だって一個でも高いし……。

しかし、憧れが消えることはない。

今日も東京駅構内の駅弁屋で我想う。

焼き鳥弁当か、チキン弁当か、どちらにするべきか。

いや、今日こそやるべきなのか、両さん。

俺も、ダブル駅弁を…………

やきとり弁当の画像は色々ありすぎたので省略。



トンカツ

いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。 それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。

「美味しんぼ」トンカツ店店主


詳しい説明は不要だろう。

自分の金で昼からトンカツを食うとき、いつもこの言葉が頭によぎる。

そうして俺は、学生から社会人になったことをひときわ強く実感するのだ。

そりゃあ、まだまだ豊かというには程遠い。

けれど幸い、貧乏すぎもしない。

今の俺には、これくらいがちょうどいいのだ。

これくらいが…………




コロッケ

コロッケ、別にそこまで好きではない。

もちろん嫌いではないのだが、俺はバカなのでメンチカツの方が肉肉しくていいじゃん、ジャガイモ別に好きじゃないし、とか思ってしまうのだ。

文字にして書くとまあ何とも風情がないというか、バカ丸出しというか……。

けれどそんな俺は、コロッケを食べるときには必ず、とびっきり美味しく味わうための記憶を引っ張り出してくることにしている。

というより、忘れられない語り口が、コロッケをすっかり特別な存在にしてしまったのだ。

小学3〜4年のクラス担任、Y先生の話だ。年齢こそ50代に差し掛かっていたが、いつも声が大きく溌剌としていて、大柄な体格に握力は76あった。

けれども、よくいる運動一辺倒の体育教師タイプではなく、とにかくアイデアマンで生徒を楽しませるためには時間もお金も惜しまない人だった。

友達と二人で昼休みに机の上の将棋本を見つけたら、「お前ら将棋打てんのか!」と喜んでくれ、なんと翌日にクラス全員分の将棋盤と駒を買ってきてしまうような人だった。瞬く間に将棋は大ブームとなり、昼休みに誰も外に行かなくなった異様な光景を今でも覚えている。

脱線してしまったが、Y先生は話も抜群に上手い人だった。

道徳の時間だったか、テストを返したあとだったか、空いた時間にはいつも怖い話を披露してくれた。

たしか山形あたりの田舎のご出身で、都会っ子の自分は馴染みのない山奥の光景を無闇に恐ろしく想像しては何度も背筋が寒くなった。ぼっとん便所がやたらよく出てきた記憶がある。

彼の話にコロッケが出てきたのは、そうした怖い話の導入部だったように思う。

農村部で田舎料理ばかりを食べていた幼少期の先生の食卓に、ある日コロッケが出されたというのだ。

なんでも、婦人会でお母さんが洋食を習ってきて作ったのだとか。

戦争の食糧難を生き抜いたお母さんがなんとか美味いものを食べさせてあげようとしていた……という話も、そういえばあったような気がする。

そうして初めてコロッケを食べた先生は「なんだこれは!こんなに美味いものがあるのか!」と飛び上がって驚いた……らしい。

未だにあの迫真の語り口を覚えている。

言ってしまえば、本当にただそれだけの話だ。コロッケは特にその後の怪談には登場してこない。先生がコロッケ大好きになってしょっちゅう食べてたみたいなエピソードも特にない。

ただ、先生の語りが巧かった。

あまりにも巧かったのだ。

おそらく現代の高級コロッケとはまるで違う、中身はほとんどじゃがいもだけで、ひき肉もろくに入っていないものだったのだろう。

けれど、あれほど鮮やかに食の感動を伝えてくれた語り手は後にも先にも先生だけだった。

飽食の時代になって久しい平成の世に生まれ、コロッケよりロースカツがいいなどとのたまうクソガキだった俺の心には、しかし今でもあのコロッケのエピソードが、先生の柔和な笑顔と共に焼きついている。



連想メシはまだまだあるので、またいくつかまとまったら記事にしていこうと思う。

ではまた!

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