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逡巡のカイエ 2023/5/28

 これまでずっと「自分」と「他者 / 社会」の噛み合わなさに悩んできた。知能検査を伴う発達障害の診断を受けて、ああなるほどと納得する部分もあったけど、納得したからといってすぐに特性の活かし方が分かるわけでも、他者 / 社会との齟齬が減るわけでもない。いつまでこの問題について悩み続けるのだろうか。もしこの問題が解消するのだとしたら、どのようなステップを辿り、何をもって解消とするのだろうか。

 最近かなり無理をしている。夫が海外出張で家を空け一人になってから「なんでも自分でやらなくちゃ」というプレッシャーに駆られて苦しい。料理して食べる、ゴミをまとめて捨てる、脱いだ服を片付ける、寝る前にシャワーを浴びる……人が人として生きるべく必要な作業をしているだけなのに物凄く疲れる。タイミングの悪いことに、生活面のみならず社会的な側面でも複数の課題を抱え、心穏やかではない毎日だ。最初の一週間は頑張れたけど、日に日に「今日はあれができなかった、これができなかった」が募って結局何も手に付かなくなってしまった。頼ろうと思えば頼れる人もいるが、頼む気力すらなく、かといって自分でどうにかする気力はもっとない。

 いい歳こいて弱っている自分を適切に労ったり、弱りきる前になんとかできないのも問題だ。みんなどうやって心身の強度を保っているのだろうか。私もセルフケアとして色んな手法を試してきたけど、そしてそのいくつかは今も実践しているけれど結局弱ってしまう。心身が摩耗する速度とセルフケアを施す速度が合わなくなってくるというか。いくらセルフケアをしたくても心の余裕が足りなくて、明日こそ明日こそと思っている間に潰れる。
 そんな私の性質を理解し、色々と負担を分かち合って手助けしてくれる存在が夫なのだ。「夫がいなければ何もできない」とまではいかないが、夫がやるからこそスムーズにいく物事がたくさんある。これは怠惰などではなく現実的な能力の差だからどうしようもない。ある程度訓練してできるようになったとしても必ず限界がある(例:料理。料理担当の夫が家を空けたため自炊を始めた。それなりの食事を作れるようにはなったが、料理に必要な思考プロセス──マルチタスクや順序立て、臨機応変な対応──が苦手すぎて毎回めっちゃ疲れる)。

 もし今何かを手放すのだとしたら自炊だと思う。Noshを頼むなりして自炊の負荷を減らせば、自ずと脳の容量が空くからだいぶ楽になりそう。支出が減る可能性もゼロではない。
 次に酒。自宅で飲まないタチだからこそ、現実逃避のために行く立飲みでそれなりに飲んでしまう。とくに最近は自炊が面倒だから立飲みの肴で腹を満たすという悪癖を身に付けてしまった。しかも店にいる人はだいたい友達ときて寂しさも紛れるわけだ。酒が減ったら支出も肝臓と脳への負担も減る。

 今年2月、私は私の掃除・片付けができない問題をセルフネグレクトの可能性から考える記事を書いていた。久しぶりに読み返して思い出したが、本来私は料理より掃除・片付けのほうが苦手かつ苦痛である。最近料理に必死すぎて掃除・片付けが全然できなかったから忘れていた。
 これほど書き散らかしておいてなんだが、ぶっちゃけ料理は楽しい。食材を選んだり切ったり煮たりするのはリアルおままごとな感じでわくわくするし、美味しくできると嬉しいからだ。添加物やグルテンを避けるという点でも外食に比べて確実だから、セルフケアにもつながる。しかしマルチタスクや順序立て等による脳への負担が楽しさを遥かに上回り、結果つらい。ちなみに掃除・片付けは楽しいとか一切なくシンプルに難しいからもっとつらい。
 料理と掃除どちらかの負担を減らすとなったらアウトソーシングしやすいのは(私の場合)料理だ。掃除・片付けもアウトソーシングできなくはないがなんとなく心理的に抵抗感がある。

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