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逡巡のカイエ 2023/6/23

(指示語だらけで不明瞭)

 クリスチャンとしての文脈と、地球人・東洋人・モンゴロイドとしての文脈と、それぞれにおいて自分を大切にしたい。実際そのどちらか一方を完全に捨て去ることは人間として生まれた以上不可能。これは他者との関わりのなかで相手を重んじるためにも必要な心だと思う。
 その心を持った上でできる伝道ってなんだろうって色々考えるけど、今まであまりにも伝道につまずくこと悩むことが多かった。同時に私自身も、多分私が思っている以上に人をつまずかせているはずで、ときどきクリスチャンであることがすごく苦しく感じる(これは神さまを信じるのが苦しいという意味ではなく、同じ神さまを信じる共同体の構成要員として、自分が明らかに異物だと感じる瞬間に苦しくなるという意味)。今通っている教会に所属して教会生活を送る意味ってマジ何なんだろう。なぜ神様は、数ある教会のなかから今通っている教会に私を送り込んだんだろう。

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